カオスの弁当

中山研究所blog

極楽の余り風

 日本での生活は一年の半分は湿気に耐え忍ぶものである。クーラーがあっても、それは変わらぬ事情である。

 そんなもんだから、自ずと志向は高原へと向かう。涼しく、適度に乾いた環境へ避暑に向かう。燦々と降り注ぐ日差しの元で肌を焼こうなんて発想とは縁遠い。寧ろ、そんなジリジリ、塩が吹きそうな場所から逃れて木陰の下に涼を取ろうという欲動に突き動かされているのだから、わざわざ好き好んで炙られにいこうというのは他に目的があると邪推されても強ちではない。

 

 「極楽の余り風」という古い言い回しがある。意味としては、「干天の慈雨」に等しいが、専ら其の儘の意味で用いられる。即ち、暑い最中にソヨと吹く風の涼しさを讃えて呼ぶ。

 そんな「極楽」の一端は、風そのものであり目には見えない。肌に感じる刺激である。或いは動きとして、視覚に捉えられるとすれば、小枝や吊るした何がしかに表れた揺動がそれである。

 だが、何よりか目に見えないものの情報は耳で、音として得られるものである。だから風鈴なんてものが、或いは竹や笹が飾りとして用いられたりする。あれらが若し、身じろぎ一つせずにあるものだったら、極見窄らしいものでしかないだろう。

 

 兎も角、大事なのは動きである。尚且つ、その動きは、何方かと言えば軽薄な、些細な動きが味噌である。

 畢竟、生き物であれ、メダカや金魚を飼育するのも、或いは虫や小鳥を籠に入れ飾るのも同じ理由から来ている。水や、「半透明」の籠の中に動くものを入れて、その不規則に動く様を目や耳で楽しむーー。これが専ら室内に於ける趣味の中でも人気を占めていたのは、生憎と今日では随分忘れ去られた風情がある。

 

 完全に覆ってしまうのではなく、垣根や生垣の様に、隙間としての「目」を残す事は、何も「風水」的な意味合いからーーというよりも、通気性の事情からであったろうと想像される。

 勿論、これだけ南北東西に長い列島だから、何処も同じ事情であるとは言えず、寧ろ各所で違った事情から様々な工夫や仕掛けがあったものであろうが、それらの知識は随分と廃ってしまったか、或いは巷に流通しなくなってしまった。

 

 電柱・鉄塔の林立する景色というのも、或いは銀色は鈍色の金属の剥き出しの表面がゴロゴロと転がる景色というのも、実際それらを涼しい所から眺めるのであれば、先に述べた様に竹細工やら何やらを見る時の様に面白いものである。というのも、それらは昼間は大気の揺らぎによって、夜天の星の様にキラキラと瞬くからである。

 斯くも湿潤たる気候にあっては、冷涼閑寂たる地域の中で育った感性は其の儘では中々通用しない。

 

 こんな小話がある。

 嘗て、東京市議会に於いて街路の舗装を推進しようとした際に、

「それでは下駄屋が廃業するではないか」

と反論した議員と意見があったそうである。

 未舗装の街路は事ある毎に泥濘に変じて、これには下駄が必須であった訳だから、その意見にも一理あると言えばある訳だがーー、何よりか此の発言は、思うに此の議員を含めた少なからぬ人々の内に、蒸れる靴への日頃の不平不満が堆積していた事情の発露ではないかと考えられる。

 今では然程、表立っては憚られるようになったものだが、ふた昔程前ーー詰まり、世紀の節目前後迄は、「足の水虫」というのは半ば国民病的な風潮があって、年中構わず、此の「水虫薬」の広告が見られない時期はない程であった。原因は当然、靴である。

 

 東京市議会の舗装道路を巡る議論は、「下駄屋」発言に留まらず反射熱による問題も議論されており、飽くまで「下駄屋」云々はその序でに出た様なものであるが、其の場で最大の争点であったのは、取りも直さず、「西洋化」「近代化」そのものであった訳で、文字通り、足下の近代化のシンボルたる靴も此の時、暗に槍玉に挙げられたーーというのが、果たして事の真相の様に思われる次第である。

 

 実際、下駄は正直靴に較べたら随分歩き辛いが、通気性は格別である。

 涼しげである事が本邦に於いては美的にも優位である事情は今も変わらない。空気が湿気を帯びて来るとたちどころに出回る衛生用品を見ていても明らかだが、「清涼感」は果たして贅沢の第一なのである。

 

(2022/04/27)

夜汽車の通る風景

 100年以上前の絵葉書の画題に「夜汽車」がある。文字通り、夜中、山間部や海浜を走る機関車の絵・彩色写真を刷ったものであるが、今時こういった絵を見るとノスタルジーとかそういう感想が真っ先に浮かぶものであるが、昔はどうだったかというと当然、そうではない。

 「夜汽車」の絵葉書は概ね3パターンに分けられる。

 ① 橋を渡る場面

 ② 山間部を走る場面

 ③ 鉄道の為に整備されたエリアを走行する場面

 ③ は曖昧な表現ではあるが、鉄道愛好家でもない自分には中々難しい。

 言うなれば、機関車が描かれるのは当然の事として、それが走行する場所・風景というのが概ね3パターンに分けられるーーという事である。

 ① は水辺・海辺、② は陸地、③ は開発地、という風にすれば対比も容易である。

 

 さて、こうした景色というのは実際、辺鄙な所にわざわざ足を運ばなければ見に行けない、空想的な景色である。そもそも鉄道は、その排煙やら騒音の関係で概して主な居住区域の外に敷設されたものである。

 然るにそれらを寄ってわざわざ見ようとすれば自然、辺鄙な界隈まで出向く必要があったという訳であるが、そうした「普段の生活の場と一風変わった景色」というのが、絵葉書という代物に相応しい絵であったのは、絵葉書の持つ性質にも因むものであったろう。

 

 絵葉書は差出人と名宛人の双方にとって別々の価値を持つ。だが、両者にとって何れにせよ、概ね絵葉書に描かれた事物や景色というのは生活の外にあるものである。それら「外」の様子を絵葉書は紹介する代物であったりする。

 夜汽車の絵葉書の話に戻ると、それらは特定の場所を描いたものというより、差出人と名宛人の双方で同じ景色ーー「外」の様子を観察、共有しようという意図の下で交わされた(少なくとも実用面に於いては)ものであったといえよう。

 或いは、既にある何某かの共有する観念に姿形を与える意図でもって相応しい図柄が選ばれたとも考えられる。

 そこで、夜汽車は如何いった意味を持ったかーーについて考えてみると、絵の中で機関車は飽くまで彼等、当時の人々にとって同時代の事物であって、その通行する背景の景色こそが彼らのノスタルジーの向かう先であった事が推量される所のものである。

 

 それでは、①〜③ のそれぞれについて、少し解説を加えたい。無論、相当粗野な説明なので容赦願いたい所だが、初めは① についてからである。

 橋というのは、今も変わらぬ土木建築の代名詞であるが、19世紀後半の日本においては、巨大建築といえば概ね橋こそがその象徴であった。

 今でも全国各地に架かる大橋は、その土地の歴史と誇りの象徴として内外に知られる所であるが、今よりもなお、その意義も存在感も大きかったのが一世紀半より昔の事情である。

 然し、そうした橋も盛んに架け替えられるようになって、機関車の通行出来るような頑丈になった橋は以前の外観とはすっかり違った、逞しい鋼鉄と石造の威風を湛えている。

 今一つ、土木には河川改修工事等もある訳だが、その様な大規模工事が今日、二十一世紀の人間の想像する規模で行われる様になるのには、絵葉書の流通した時代を下る事、尚約半世紀の時を待たねばならない。

 此処では鉄道が往古の景色を一変させた事を示す為に、先ず背景がどの様な意味合いを有するかについて関心を払う必要があるのである。

 

 話は少しズレるが、以前ネットで電線や電柱が伝統的な景観を破壊するものとして批判する文脈で、北斎の「赤富士」の絵にあり触れた電柱のシルエットをコラージュした画像が拡散されたら、却ってその絵が人口に膾炙してしまった事があったが、このコラージュ画像を批判的文脈で作製した人々の手法こそが、果たして昔絵葉書を作製した人々のそれを踏襲したものであるーーと筆者は考えている。

 

 閑話休題。続いて② 山間部を通る場面についてである。

 これは屡々月を背に疾駆する列車を描いたものであるが、そのスピード感というものは雄々しく棚引く煙突の煙が示すものであって、シャッタースピードを調整して、残像やぼかしを用いて表現されるものではない。

 月を戴く峰々の絵は、それこそ山水画の長い歴史の中で浮世絵にも踏襲された、古典的な画題である。が、その中を「現代」(当時の)を象徴する機関車が煌々と灯りを灯しながら走る様子というのは、今からでは一寸疑問符が浮かぶやも知れないが、それこそが「自然と文明の調和」を描いたものでなかったか、と考えられるものである。

 というのも、そこに描かれる景色というものは、遥か昔、更にいえば空間的にも海を隔てた向こうの深淵なる歴史的文脈と遥々繋がったものであるからだ。

 歴史即ち風景、自然という「絵」に於けるお約束を踏まえたら、そうした伝統的価値観そのものとも言える背景を担ぎ、勇しく煤煙を月光に反射させる汽車の姿は、丁度、遠く山の頂より遥か天上から悠久の時を越え、人間の営為を見詰め続けて来た存在に対して、今正に嘗てない威勢を地上で発揮し続けている「現代人」の勇姿の寓意とも解し得るものだろう。

 

 上記の内容を踏まえて、③の景色を見ると、これはそれまで見て来た様な伝統的な風景を描いていない様に一見、認められるものだが、これは果たして「風俗画」として見た場合、その位置付けは明瞭になるだろう。その一見した歴史的「飛躍」こそが③ の核心である。

 当時に於ける「現在」から、これまで見て来た「過去」と自分達がこれから結び付ける「未来の景色」が、その風景には示唆されている。但し、未来は描かれているものではなく、その現代の様子は、未来から見た時にこれまで描かれて来た画題の様に理解される前提で描かれたものである事を企図したものであろう。

 詰まりそれは、将来、振り返って昔届いた便りを改めた時に懐古され得るだろう現在の景色を投機的に用意した結果の「絵」なのである。

 

 「Long,long ago」に対置された「Present day, Present time」の意味は、その実、現代=同時代的な感覚ではなく、「遥か未来のどこかの時点」を指すものであるーーという見方に立てば、今日日二十一世紀初頭に私たちがその古い絵葉書を見た時に感じるノスタルジーは、差し詰め、そこに描かれた「未来への期待」に感化されたものでもあったりするのだろう。

 決して自分達が体験した訳ではない過去に対する感覚は「懐かしさ」ではなく、或る時代に於ける「憧れ」への共感を、過去という時間的順序に引き摺られ郷愁と取り違えた結果に生じるのではないかーーとは、全く筆者自身の見解である。

 そうした、現在への期待と将来への憧憬を具備した表現を回顧した際の最も相応しい評価は既にして在る。

 曰く「訪れざりし未来」という。この言い程的確に、夜汽車の行方を物語る言葉もないと思う。

 

(2022/04/19)

『「世紀末」から「新世紀」へ』

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて西ヨーロッパで猛威を振るったジャポニズムの影響が、偏西風に乗って「元ネタ」の日本で持て囃されて、結局それが約1世紀経った今でもサブカル界隈で注ぎ足し、注ぎ足しされ続けているーーと最近、改めて思うようになった。

 それは、表舞台にあっては少女漫画であるとか広告・雑誌のデザインを通じての養生であったかもしれないが、今一つ自分の関心の寄せる所は、専らそうした表舞台の活動が「消費」と呼べるなら、舞台裏の活動としての「創作」の場を提供していた学校教育の中での美術教育や課外活動としての部活動、そして大学生らの自主制作活動であったりする。

 そうした、生徒や学生らによる、趣味とも勉強とも職業訓練とも完全に決め付ける事の出来ないような活動の性質の起源を辿ると、そもそもがこれらの活動が手本とした泰西の動向の性質に行き着くのではないかーーと思うのは甚だ早計に過ぎる架橋ではある。

 

 だがここで大雑把に19世紀末から21世紀を目前に控えた20世紀末までの一世紀半に近い期間を取り敢えず、一つの式にまとめてしまいたい。

 それは観察するには余りに近い過去の様でもあるし、すっかり見飽きた題材である気を起こすものであるがーー取り敢えずこれを、前世紀の尾を引いた、所謂「21世紀」的立場からではなく、語って見ようとするのは、既に四半世紀に及ぼうとする今世紀の初頭に在る人間としては楽しい「遊び」である。

 偶さか起こった、近年の災禍に寄って方々で著しく断絶したと思しき「部活動」の歴史を振り返るにつけ、それらが今日抱える教育現場の労働問題や、何よりか重大視される人権問題にも視点は移ろうものだが、それらについて又別に検討する際に於いても、そもそもが「部活動」や、近年では「やり甲斐搾取」の温床とも呼ばれる「活動」の場というものがどの様に教育制度の内部やその近傍で開始・展開していったかについて把握しておいて損はないだろう。ーー但しこうした話題は飽くまで、後付けの理由に過ぎぬ。

 

 ゲームというものは、先ずそのタイトルの魅力に惹かれて、着手すべき類のものだろう。

 そんなゲームのタイトルを思い浮かんだから、取り敢えずルールとか内容とかは傍に置いて提案してみようというのが本稿の主旨である。

 名前だけ、といえばそれまでであるが、名前があるなしでは大分勝手が違って来るのは事実であるから、一先ずここに投稿した次第である。

 

 

(2022/04/11)

緋毛氈

 Uは竹馬の友であり、彼此二十年来の知己であるが、現実には七、八年音信を取り交わしていない。

 然し、何かといえば肝心な時に顔を出して来る奴であって、今日もまたそんな例によって夢から醒めた自分の話を一頻り聴いた後で、

「それは面白いから、そのまま漫画にせえよ」

と、薄ら笑いに掠れた声を発しながらケタケタと笑った。その顔が伎楽面の胡人の相に瓜二つで、眼鏡の底の抉った様なカーブを描く眦は箆で削いだ跡みたいにくっきりとしていて、それがまた元通りに直る内に空が茜色から紺色の更に深い水色の深いグラデーションに転じて、レイヤーの置く順番を間違えたかの如く、七つ白い星が突き出た天際の山の端に凭れ掛かっていた。それを見て、これは屹度書くべき啓示に違いないと察知した。

 

 部屋は歪んでおり、幾つかの小胞に分かれ、絶えず移動していた。その中を歩むと自分を避けて部屋自体が異物を排雪しようとしてむずかっている様にも思えたが、確証はなかった。

 まず初めに、右側の壁に子供が一人凭れ眠っていた。次にその向こうの部屋に腹這いになって寛ぐ、もう少し幼い子供達が二、三人、此方の気配に気付きながらも、なおも蠕動する床の上で転がりながら笑っていた。

 今にも押し潰されそうな部屋の中で、蹲るようにしてただ一人、話の判りそうなのが直ぐ足元にいるものだと分かり、話し掛けようとしたが、間もなくその目の胡乱な事に気が付いて、自分はその場から離れて、取り敢えず、奥の二人だけでも助けようかと躊躇した。

「お客さん」

と、それだけ娘が口に出すと、唇の先に薄ら笑いの紅色が少し恥ずかしげに歪んで見えた。それから自分は、自分が何しに此処に来たかを知らないのに漸々気付いて、後退りした。ドアは直ぐ背後にあった。

 自分がそこに用事がない事に気が付くと、案外直ぐに出る事が出来た。逃れた先で、一段高い部屋のドアを閉める寸前、幼い首がゆっくりと又元の位置に戻ろうとするのを見て、未だ何か自分にも出来る事はあるのではないかと思ってドアを元の位置に少し戻すと、同じ様に又正気付いた頭がゆっくりと此方に向き直る様な挙動を見せた。奥では相変わらず、小さい頭や手足がゴロゴロと戯れ合って動いているのが覗けた。

 自分はその侭、ドアを開け放しにして目を醒ました。

 

 個人的に、Uとは好みの合う奴でーー少なくとも自分はそうだと思っているーー奴に話したのは正解だったと星を見て改めて思った。

 そして今一つ、これは彼が見た夢だったのではないか、と何とはなしに考えた。

 

 ーー若しかしたら、あの部屋の奥にUが居たのではないか?

 若し、そうだとしたら自分が彼処に行く理由も何とはなしに見当が付くものであった。

 ただ、そうであったとしたら、自分はそこに踏み込まなくて正解だった、と考えた辺りでゾッとして目が醒めた。

 北斗星は爛々と空に犇き輝いていた。

 

(2022/04/04)

 

ネットの都市伝説からみた「自己責任」概念について

 2000年代のインターネットを介して広まった無数の都市伝説が広めた概念が「自己責任」である。

 都市伝説“が”広めたーーという言い回しには物語を擬人化する意味合いもないものだが、恰もそれは時同じくして1990年代末からブームになったホラー映画に出て来た怪物の様に、自身のコピーを様々な怪談を宿主として増殖していった。

 

 所で、所謂通俗日本語に於ける「自己責任」なる語の意味する所は、ヨーロッパ圏に於ける「追放」に近しい。

 近年では、一部のライトノベル、ファンタジー作品でも取り沙汰される語句となったので見知った人も少なからずあるだろうと思われるし、又此処で話題にする、専ら刑罰として処置された結果としての平和喪失状態についても、以前よりか知る人が多くなったろうとも推量される。

 それが、近々十余年の間に浸透・進行していった“新自由主義”の名の下に行われた「改革」の根底にある「思想」と何某かの連関があるのか分からない。

 ただ、少なくとも「自由」と「責任」を結び付けて語る文脈自体は啓蒙時代以降のそれと見るには些か難のある印象は惹起するものであり、それに対する違和感が一方で「意識高い系」という揶揄嘲弄の含意を伴う称で呼び習わされる事が同時に存在していた時期について、両者の不気味な同期を単に偶然と見做すよりも、これらの要素を合わせて今世紀初頭の「空気」を観察する方が妥当であろう。

 

 話を戻すと、都市伝説が齎す「自己責任」もとい「追放=平和喪失」とは、物語が読者に突き付けた“真実”によって、それまで彼等が過ごしていた日常が崩壊する事態を指す。

 20世紀末葉の日本語に於いて、語としての「平和」は常に「専門用語」乃至「ジャーゴン」であり、今日もその状況は往時より衰威したとはいえ依然継続中である。そして、この特殊な語の意味を代理する語として用いられるようになった言葉が「日常」であった。故に今日、日本語で「日常」という場合、それが指す状態は即ち、平和と解してほぼ問題ない。

 

 一般に、ネットの都市伝説や怪談の枕に置かれる「自己責任」の文言は、スレ主やそのコピーを貼り付けたユーザーが、自身の書き込みや投稿を読んだ他人の不利益に対する何らの義務を持つものではない事、そして仮に不利益が生じた場合にも読んだ人間がスレ主や投稿者に対して何らの訴訟を起こさない旨を確認する一条として解されている。

 翻せば、その様な文言を冠さないではいられない様な危険性を、果たして発表者は認識しているのではないかーーとも思慮が及びそうなもので在る。だが、そんな慎重さはネット・サーフィンという「スポーツ」に興じる多くのユーザーにとっては、多くの場合は交通規則の様に煩わしく、決して実際的ではない。いちいちそんな事を気にしていてはとても生活が出来ない、という訳である。

 ただ「自己責任」の文言は、そうした注意喚起をする位にはユーザーにモラルが備わっている事を示す仕草にはなるものである。

 それは一応の警告であり、「一時停止」であり、相手に対する注意喚起なのであるが、そんな取って付けた様な「怪しい文言」を前置きしないではいられないのは、これから何かを伝えようとする者が、自身の行いが何処からか誰かによって監視されているのではないか、という恐怖を内包している為である。

 

 所謂「ネチケット」やモラルが文字通り、多くのユーザーに警察的機能を果たしていた事が「自己責任」という枕詞からは伺い知れる。

 ただ、それをして、ネット・ユーザーの多くが自身の犯し得るかもしれない「罪」に怯えている、と解釈するのは流石に空想に過ぎており、専ら人々が恐れるものは罪よりもそれが理由となって何らかの権力から加えられる「罰」に恐怖しているーーと解するのが妥当である。

 他方、罰を「与える」側からすれば、その口実としての自己責任は、自身の統治や支配を冒涜して違反したものに対して、彼等に対する保護・救済の義務を最早自身が有さない事を表明する文言として重宝し得るものである。

 

 「自己責任」という語は、市民間の、或いは市民と国家の間の、平和もとい「日常」に関する暗黙の了解を、一方が一方的に破棄乃至放棄しようとする時に便利な語である。

 だが、それは都市伝説の「拡散」……それは「増殖」や、もっと言えば「繁殖」の言いが相応しい……過程に於いて、投稿者と、それを受け取る読者の双方を、謂わばモラルという日常の埒外にお互いを追放する際の「合言葉」として機能する。

 それによって得た自由は、果たして人間のそれとは全く異質のものであり、其の状態には当然ながら、現代に於いて私達が想像する人間らしい平和も日常も、その内容としての安全も存在しない。無論、「責任」の意味合いも其処では大きく異なっている。

 

 そんな、のっぴきならない剣呑な「自由」(平和喪失状態)を、昔の人は「自己責任」なんて味気ない言葉では語らず、次の様な“詩的”な表現で示している。

 「汝は審理と法によって、殺人追放に処せられる。故に私は、汝の身体ならびに財産を保護から引き離し、これを無保護のもとに置く。また汝には名誉もなく権利もないことを宣言し、汝が空に放たれた鳥となり、森の中の獣となり、川の中の魚となることを宣言する。」

--堅田剛『法のことば/詩のことば ヤーコプ・グリムの思想史』p.83(第四章 ヘルダーとグリムの言語起源論)より

 上の例は歴とした判決文の翻訳文ではあるものの、その表現は今日の日本人にとっては(恐らく現代のドイツ人にとっても)馴染み薄く、稍もすればそれこそ本当に厨二臭い、ファンタジックな、作り物めいた表現であるとしか映らないものであろう。だが、相対的に見るならば、今日に於ける、いかにも何か「法的」な言葉使いというのも同程度に奇妙さを有する可能性はある。

 その意味で、「自己責任」も文学上の位置付けは『空に放たれた鳥となり、森の中の獣となり…』のくだりと対等なものであると言えようが、飽くまで一方が公式の判決文で用いられたものであるのに対して、「自己責任」は飽くまでネットの都市伝説の枕詞に過ぎない事は、留意される必要があるだろう。

 

(2022/03/26)

 

 

現代怪獣ショーが見たい。

 ニジンスキーのバレエの話を方々で読むうちに、それは宛ら大人の鑑賞にも耐えうる一種の怪獣ショーだったんじゃないかしら、と思うようになった。

 実際、有名な『春の祭典』の「生贄の踊り」や、『牧神の午後』なんぞは音楽も相俟って非常にグロテスクである。

 伊福部昭の音楽がストラヴィンスキーの影響を受けている事、そしてそんな伊福部昭が劇伴を手がけた映画『ゴジラ』の影響の下にある今日の本邦のアニメ映画(テレビアニメーション含め)の経緯を考えると、そこから少しの飛躍をして、いっそこれだけVRとか生配信が流行っているのであれば、何処かの劇団や劇場や映画会社が本気を出せば、巨大なシアターをそのまま配信用のステージにして、怪獣ショーの生配信が出来るのではないか……とか妄想してしまう。

 

 内容はそれこそ、ペルセウスアンドロメダでもいいし、本邦の文典中に求めるなら素戔嗚の八岐大蛇退治でもいいかもしれない。

 動く活人画を観てみたいと思う気持ちは、それ自体がやや時代遅れかもしれないが、その企画自体の面白さは実際、百年やそこらでは古びるものではないと思うから、何処かの誰かが此の記事を目に留めて、こんな企画を通してくれた暁には少なしく手許の小銭を叩いてチケットでも買おうかという気分になる。

 どうせ銀行に持って行っても手数料にしかならないのなら、投げ銭にするのが吉というものだろう。

 

 『シン・ゴジラ』以来、少なからず怪獣の中に誰が入っているのか、という事も世間の関心の範疇に収まりつつあると思われる下で、それとは別に、所謂「中の人」と着ぐるみ・コスチュームというものが混同されて等しい時勢に於いて、それが如何いう風に影響するかは未知数であるが、自分はこれで今まで人間が人間を演じるより致し方なかった時代の技術的制約を仮想と仮装の空間の中が取り除かれる事を期待していたりする。

 具体的に言えば、人間が尻尾や角や翼を生やしたり、腕や頭を幾つも持てる様になれるのなら、その方が余程面白いと思われるものである。それらを人間がその意思で操れる様になる舞台と装置が漸く揃いつつある中で、世界の作家達もそろそろ今の人間の肢や目玉の数に捉われず、種々の怪物を今一度想像する支度をしてもいい頃合いである。

 

 神話の時代の空想を、果たして仮想の空間上なら現出せしめ得るのであれば、その様にすれば面白いのにーーというのは、全く思うだけの勝手、言うだけ勝手なものとは百も承知だが、もし人体というのが一種の手枷足枷となっているのであれば、それらに見切りをつけて捨てて、精神と感覚の世界に飛んでいってしまう前に、今一つの方向に目を転じては如何だろうか。

 もしかしたら、二本足で演ずるよりも八本足で走ったり踊ったりする方が上手という人も実は世間には少なからずいるかも知れない。

 

 デパートの屋上や吹き抜けの仮設ステージで演じられていた仮面劇の可能性はこれよりもっと広がるべくあるやもしれない。

 そうこう書く人間は、因みに子供の頃から通じて一度もそうした舞台を生で見た事はない。そういう機会に偶々恵まれなかった、という事もあるが、これから可能であれば自宅でそうした驚異を目の当たりにしたいものである。その為の出費なら果たして吝かではない。

 

(2022/02/13)

 

箸の智慧

 「箸が転んでも可笑しいお年頃」といったり、「箸の上げ下ろしにも兎や角言う」といったり、指の先の爪の先の、更に先にある箸は、極めて些細な事柄の代表例として今日も認知されている。ただ、それは現実に於ける関心度合いの裏返しで、箸の先、使い方や持ち方ほど、その瑣末さに比して注意関心の払われる事は余りない。

 でも、所詮箸の話である。それでも関心がいくのは、ひとえにそれが食事に関係する道具だからであろう。

 

 とはいえ、今日、それがあんまり如何でも良い話であるのは、他人の食事に然程関心を持たずとも良い程度に、人間の腹が満たされているからだろう。例え、一寸の間、気になったとしても、それは相手の手許をずっと見ていたからではなく、目端に留まったからに過ぎない。

 だから、大騒ぎしても「所詮、箸如きに何を馬鹿な」と冗談で済ませられる程度の話題で済んでいる。それは随分おめでたい話である。

 

 故に殊更、そんな状況で瑣事に係り騒ぐ面々もその針小棒大さ加減を承知していて言うに過ぎないものと了解して良いだろう。

 そして、それは単に当て付けや、いちゃもんをつける口実で、目端に捉えた箸について言及しているに過ぎないのである。それは随分、呑気で宜しい事だと一笑に伏して結構な事態である。

 だが、それにしたって、他人が物を口に運ぼうとする端から、やおら嘴を挟むのは甚だ如何わしい事、此の上ない。

 食事の邪魔をするのは、人間に限らず動物一般、生物一般に通用する数少ない嫌がらせの典型である。

 人間の場合、箸の上げ下ろしに物を言うのは、食事の邪魔をする行為に他ならない。人が物を口に運ぼうという手を止めさせようとする行為は、動物的に考えたら、その手を掴んで物を食べさせないのと同じである。

 そんな事をされて、若しされた方が暫時黙っているとするなら、それは制止した人間や動物の威力を恐れて渋々従ったーーというよりも、本人が自制心を働かせて一旦様子を見ているだけである、と云う風に見るのが妥当である。

 

 だから、此処で若しやそんな状況で、誰が間抜けや阿呆か確かめようとするならば、それは他人の食事を邪魔して意気揚々としている人間の方だろう。

 そんな事をして、タダで済むと思っているのは、全く相手が人間を全く人間だと侮っているからに他ならない。或いは、端から動物というものを侮っていれば、

「高が箸如き、何のもんだ」と高を括れるものなのかも知れない。

 

 存外、箸の先にあるのは、それを叩き落とそうとする者の考えている以上に重たいものが控えている。それは一言にして、尊厳である。

 他人の食事を蔑ろにする者は余程の覚悟をしておいた方が無難である。

 ただ、そんなものを支えて掴んでいるものであったとしても、普段は「転んで可笑しい」ものとして人が一笑に付すのは、全く叡智人を自認する人間の余裕を示す意味に他ならない。

 その余裕を、単に側の人に張る見栄だとしか思わない者にとっては、その智慧を簡単に擲って平気である。

 或いは、人間にとってその余裕と尊厳とが如何に重要か分かっていればこそ、その側で羽音を立てるのに余念がない。人間から智慧を奪い、尊厳も根刮ぎにして単なる動物それ以下に(人間は何も尊厳なくして生きられるような動物ではない)してしまおうという輩は、他人の手から箸を奪って、叩き落として、笑うか或いは説教をして平気である。

 そうされても黙っている人があれば、それはその両者の何方が人間の称に相応しいか、既にして瞭然だからである。語るに及ばず。或いは、言っても伝わらない。故の沈黙である。

 

 人間は動物である。その動物に対して、その化けの皮を剥ぐような事を、若し人間が仕向けるなら動物を人間扱いするのが滑稽なように、正しくそれは滑稽である。

 それが滑稽で済む内は全く幸いである。

 その幸いは人間の手指の上に、箸やフォークやスプーンが摘まれている間は保たれるものだが、然し、事情が少しでも変わるとこの話は全然冗談では済まなくなる。

「箸がなければ手で食えば良いじゃない」

なんて台詞は、例えば箸が容易に手に入る状況であれば成立する洒落である。

 

 所詮、箸についての兎や角話をするのは瑣事である。だが、これ程、企図して己の信を損ない、評判を貶め、愚を喧伝する方法も他にはない。

 ーー然すれば誠、箸の話を瑣事に収めている人間の智慧と努力こそ世に讃えられるべきではないか?(以上、馬鹿の戯言。)

 

(2022/01/17)