カオスの弁当

中山研究所blog

余は如何にしてギロチン台を免れ得るか?

[...] 母が言うには、世の中には文法を毛嫌いする悪人どもが少なくない。彼らは、自分の頭が鈍いために理解できない事を中傷の材料にするし、また法律を人に害悪を与えるものにしてしまう。そのような法律による宣告を受けてヘクラの淵に果てた人も少なく…

成木責めについて

小正月に果樹に対して行なわれる豊作祈願の儀式に「成木責め」というものがあるらしい。詳しくは地域や時代によって違いがあるそうだが、概ね、樹木を脅かして、その年の収穫を「約束させる」儀式であるそうだ。 果たして、昔話の『猿かに合戦』冒頭に出てく…

砂漠の太陽

映画『オッペンハイマー』に便乗した、バービー人形のプロモーションが炎上しているニュースに接して一夜明け、果たして、その元となった二次創作作品の数々を見るうちに、これが(なんのかんのと言われようと)今日全地球上に覇を唱える国家とその国の人々の…

タイタニック号の楽士たち

久々にーーというか、この間初めて『タイタニック』を観た。タイタニック号の沈没に纏わるエピソードは、驚嘆すべき事には、殆ど乗員一人ひとりに渡り蒐集され、記録・伝承されている。 中でも事ある毎に紹介される話の一に、沈みゆく船の上で死を待つ人々の…

なんかでっかくてこわいやつ

空想科学映画とパニック映画の違いについて考えていると、取り敢えず、「なんかでっかくてこわいやつ」を想定してみたくなる。 この「なんかでっかくてこわいやつ」は、大抵、手に負えない災害級の代物であり、これに対する反応として描かれるのは二通りのエ…

新書横断① 「新書」と「ペンギン」の謎

唐突だが、これから散発的に趣味についての記事をこのブログで書いていこうと思う。 別に構えて書く必要もないのだけれども、体裁を気にするのが、多年患っている著者の悪い癖である。 前置きはさて置き、その趣味とは「古い新書集め」である。別に新刊を全…

ぼっち・ざ・lain

『ぼっち・ざ・ろっく!』は実質『serial experiments lain』だーーという怪気炎にTwitterで接して、それならば……と視聴した所、これが大変面白かった。とても面白かった。 それより前から再三、友人連中からも見ろ見ろと勧められていた手前、観るのは少々癪…

蛇の飴

随分昔のことだから仔細ははっきり覚えていない。兎に角、親に連れられて何処か観光地でしんこ細工の体験をさせられた時の事である。 その頃、自分は矢鱈と蛇という生き物に魅せられていた。何故だか分からないが、進化の過程の上で四肢を無くした蜥蜴の仲間…

空気圧コンピュータSFの妄想ノート

「空気圧コンピュータSF」てなアイデアを昨日の朝、知った。 → これである。 https://twitter.com/fhswman/status/1590359678877282304?s=46&t=Xs_Tb6H93Ow9-kQbbuXGEA さて色々妄想は捗った訳だが、計算機をそもそも空気圧で動かそうという発想は、電磁気力…

魘床奇譚

あんまり画筆を執らない所為で夢に見たのかも知れない。ーー筆者 一 あんまりに寒いので目を覚ますと胸元がすっぽり空いていた。最近は筋肉が落ちて代謝も減っている筈なのだが、どれだけ食っても腹が減って仕方がない。我ながら不安になるくらいすっかり身…

或る日本人がみた英国王の国葬(1)

1 1910(明治43)年2月上旬、大阪朝日新聞(大朝)社会部の記者・長谷川“如是閑”(にょぜかん) 萬次郎は5月から英国・ロンドンで開催される日英博覧会の特派員に任ぜられ、3月18日に大阪から浦賀へ、そこからウラジオストクに向かい、4月5日発のシベリア鉄道万国…

インコの羽

南米奥地アマゾンの密林の中で男が一人、インコの羽を纏って死んだそうである。その死体が発見されたのは死後数十日が経過したあったそうであるが、男は彼の部族の最後の生き残りであった。 こうして彼の死を以て、彼の部族もこの地球上から絶滅した。インコ…

AIで創作する

呪文を唱えてAIで画像を生成するのも立派な創作行為である。だから、創作活動全般に通用しているであろう倫理なり何なりをそれにも適応していこうーーというが本稿の大意である。 「アレが作品と呼べるのか、創作活動、藝術と呼べるのか?」 という意見は、…

ピグマリオン・ジェネレータ

適当なキーワードを入力して機械に生成・出力させたデータをそれ以上のものだと捉えて享受するまでには、一跳躍の歩み出しが必要である。 昔、坂田靖子の漫画にピグマリオンの伝説をモチーフにした短編作品があったのを今朝ふと思い出した。パソコン・インタ…

それはよくある光景だった。電車の中でひたすら窓に向かって口角泡を浮かべて喚き散らしている、大抵は年齢よりも随分と老け込んだ男が一人、周囲に無視されて放置されていることへの当て付けからか、列車が速度を増すに連れて愈々声量も大きくなる。 周囲の…

麦わら帽子と白いワンピースの幻について

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね? ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、 谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。 ーー西条八十『ぼくの帽子』(1922年) 12、3年前「2ちゃんねる」のまとめサイトで、 “夏に関するイラストで描かれる、白いワンピー…

電話線の怪/『シェラ・デ・コブレの幽霊』

大分昔にテレビ番組『探偵ナイトスクープ』で取材され、幻の恐怖映画として今日まで名前だけ本邦でも有名であった『シェラ・デ・コブレの幽霊』(1964)が、Amazonプライムで日本語字幕付きで配信されている。かと言って、この記事は別にステマでもない。 期せ…

直近アニメ電線・電柱事情

2020年代に入って、と数えるよりも、“専門的”には「令和」と和暦を読む方が適当であろうが、兎も角、平成のアニメ作品ばかり取り扱っているのも稍、既にロートル染みている気がする。 だが此処数年の作品について言及するのは、なまじフレッシュであるだけに…

電線・電柱と『エヴァ』の潔癖

日本のテレビアニメーション作品の特徴として指摘される電線・電柱は、文明の象徴であり、歴史的文脈に於いては文明忌避・自然回帰的なコミューン運動に対する抵抗の象徴でもある。それは屡々、“電線・電柱アニメ”の代名詞とされる『新世紀エヴァンゲリオン…

文鎮三昧

文鎮とは隠語で「形ばかりで実際には機能しないもの」を指す。最近では、動かないスマートフォンも「文鎮」というらしい。随分古風な言い回しだと思うが、差し詰め現場では代々昔ながらの言葉遣いが残っているものだから、それらを踏襲したものであろうか。 …

極楽の余り風

日本での生活は一年の半分は湿気に耐え忍ぶものである。クーラーがあっても、それは変わらぬ事情である。 そんなもんだから、自ずと志向は高原へと向かう。涼しく、適度に乾いた環境へ避暑に向かう。燦々と降り注ぐ日差しの元で肌を焼こうなんて発想とは縁遠…

夜汽車の通る風景

100年以上前の絵葉書の画題に「夜汽車」がある。文字通り、夜中、山間部や海浜を走る機関車の絵・彩色写真を刷ったものであるが、今時こういった絵を見るとノスタルジーとかそういう感想が真っ先に浮かぶものであるが、昔はどうだったかというと当然、そうで…

『「世紀末」から「新世紀」へ』

19世紀後半から20世紀初頭にかけて西ヨーロッパで猛威を振るったジャポニズムの影響が、偏西風に乗って「元ネタ」の日本で持て囃されて、結局それが約1世紀経った今でもサブカル界隈で注ぎ足し、注ぎ足しされ続けているーーと最近、改めて思うようになった。…

緋毛氈

Uは竹馬の友であり、彼此二十年来の知己であるが、現実には七、八年音信を取り交わしていない。 然し、何かといえば肝心な時に顔を出して来る奴であって、今日もまたそんな例によって夢から醒めた自分の話を一頻り聴いた後で、 「それは面白いから、そのまま…

ネットの都市伝説からみた「自己責任」概念について

2000年代のインターネットを介して広まった無数の都市伝説が広めた概念が「自己責任」である。 都市伝説“が”広めたーーという言い回しには物語を擬人化する意味合いもないものだが、恰もそれは時同じくして1990年代末からブームになったホラー映画に出て来た…

現代怪獣ショーが見たい。

ニジンスキーのバレエの話を方々で読むうちに、それは宛ら大人の鑑賞にも耐えうる一種の怪獣ショーだったんじゃないかしら、と思うようになった。 実際、有名な『春の祭典』の「生贄の踊り」や、『牧神の午後』なんぞは音楽も相俟って非常にグロテスクである…

箸の智慧

「箸が転んでも可笑しいお年頃」といったり、「箸の上げ下ろしにも兎や角言う」といったり、指の先の爪の先の、更に先にある箸は、極めて些細な事柄の代表例として今日も認知されている。ただ、それは現実に於ける関心度合いの裏返しで、箸の先、使い方や持…

電車の窓に映った景色を片端から全部描いていこうとした時に、描いているうちに全部流れ去っていくものだから、いつまで経っても絵が完成しない。 そんな時に、傍で見ていた人が 「借してみろ」 というので、筆を渡したら、長い長い奉書紙に一本線を引いて、…

ジェネレーターに入力したキーワードは秘密

三が日前後から、AIに色んなお題を入力して絵を出力させる遊びが流行っているようだ。 これは石を割って出来た断面にある模様を、風景とか事物に見立てて遊ぶ、パエジナストーンのようなもんだと思ってタイムラインを眺めている。 すると、このような機運に…

カラスの遠吠え

カラスの遠吠えは電柱の上によく冴え渡る。真下で聞く分にはさほど声量もないように聞こえるのだが、離れてもなお聞こえるので、その声は優に数百メートル先まで届く。 普段買う牛乳が少し多く盛られているような気がしたので測ってみたらば気の所為であった…