カオスの弁当

中山研究所blog

柳と電柱

柳田國男がどこかの村と村とに相似形を見出し、それを何か「美しい」景色として称揚した理由が、何でも村の中程にシンボル・ツリーとして植えられていたカワヤナギの大木を発見した為であったとか言う話を聞いた。 又、東北の雪深い村の戸口に、人がいる標の…

機械と英雄と職人と――如是閑の英雄論について――

ジャーナリスト・長谷川如是閑の年譜*¹の内、1914(大正3)年から1918(大正7)年にかけての5年間は、専ら勤務先の大阪朝日新聞社(通称・大朝)内外を巡る種々の揉め事に関する記事で占められている。 その中に、大正5(1916)年の出来事として『大朝(…

「lainを好きになりましょう」について

テレビアニメ『serial experiments lain』の、最も「平成」らしさを感じさせる部分は、「けひゃっ!」おじさん、こと、主人公・岩倉玲音の父親・岩倉康男や、劇中のテレビで放送され“中継”されるニュース番組のアナウンサーの男性が登場する部分である。とい…

栞一片

昔、本に挟まってた栞をとにかく集めていた。大体90年台から収集していた2000年台のもので、色んな形やら内容やらがあったのを記憶している。 久々に色々な用事が片付いたので、寝ることができた。頭の中が常時動いているので、夜中も満足に眠れない。そんな…

「園」の思い出

動物園とか遊園地とか、兎に角、「園」という名の付く場所が苦手だった。今でも、背の高い門扉と敷地をグルリと取り囲む大きな柵を見ると、忌々しい気分になって自然と顔も歪んで来る。 「言うこと聞かないと、サーカスの虎の餌にしてやる」 と言うのが、母…

エレクトーンの音

自分の中で90年代の音といえば、ずっと切れ目なく放送されるBGMのエレクトーンの音だ。 夜、少し眠ろうと横になり目を閉じると、何処からともなく、その日の気分次第で、しかしそんな気分とは関係なく、すぐそれと分かるが、誰の手とは感じさせない曲が始ま…

生き物の生きた証は何じゃらホイ、という話を友人と昼間から延々三時間くらい電話した。 結局、化石になる様な組織だろうなという話になって、成る程なあーーと思った。 腕の重さや足の重さ、というのを意識することが間々ある。それは普段、如何しても生活…

「壺中の天」と「怪しい箱」

夏なので、且つ、如何にも家の外に出るのが躊躇われる時勢なので仕方なしに自室に篭って絵を描くばかり、退屈なので延々、怪談の機械音声朗読を流している。それで、昔バカらしくて読みもしなかったが、名前だけは知っていたようなネットの怪談を聴くうちに…

玩具で遊ぶ

子供時分に竹とんぼの作り方を教わらなかったのは、今にして思えば失敗だった。 とはいえ、今からでも独学でも作ろうと思えば不可能ではない筈だ。 習わなかった理由に身内にそういう竹細工をする人間がいなかった所為がある。 当時から今まで、竹とんぼとか…

観念小説作家としての長谷川如是閑

小説家としての長谷川如是閑のキャリアは存外、その位置付けははっきりしている。だが、なまじ作家としての評価よりも、新聞記者、ジャーナリストとしての評価が抜群に高いから、わざわざ省みられる事は多くはない。 明治29(1896)年といえば、日清戦争終結の…

シン・エヴァと電線と電柱と

ネタバレにならない程度に映画の感想を書いていく。今回は電線・電柱が表象していたものについて。 『新世紀エヴァンゲリオン』といえばお馴染みの舞台装置、電線・電柱は今度の映画ではあんまり出番がなかった。 ただ、予告編などでも既に示されていた通り…

神と悪魔と科学のエキスペクテーション、或いは不思議の線

▲人類の絶滅は神と悪魔と科学のエキスペクテーションなり。 ▲人間の生命は国の生命より永からず、国の生命は地球の生命より永からず、地球の生命は宇宙の生命より永からず、宇宙の生命は人道の生命より永からず。 ――長谷川如是閑『如是閑語』(1915) 「描か…

始メノ如ク終ワリヲ慎メバ(3)

始メノ如ク終ワリヲ慎メバ(1) - カオスの弁当 始メノ如ク終ワリヲ慎メバ(2) - カオスの弁当 さて、本稿の主旨としては、前回・前々回と続けて来て、ここで纏めて示そうというのは、彼・如是閑の小説作法というのが今少し、当初の如く、読み物として、娯楽作…

始メノ如ク終ワリヲ慎メバ(2)

始メノ如ク終ワリヲ慎メバ(1) - カオスの弁当 始メノ如ク終ワリヲ慎メバ(3) - カオスの弁当 (承前) 所でだが、如是閑と言えば何という肩書きが相応しいものであろうか? 最も妥当なものは、新聞記者だろう。だが、今日では「ジャーナリスト」とか「思想家」…

始メノ如ク終ワリヲ慎メバ(1)

始メノ如ク終ワリヲ慎メバ(2) - カオスの弁当 始メノ如ク終ワリヲ慎メバ(3) - カオスの弁当 巷に流布する如是閑グッズを蒐め始めて二年目に突入した。 見かけたものの入手できなかったものも少なくないが、取り敢えず、入手出来るものは取り敢えず確保して来…

機能と実用

電信柱や鉄塔、鉄道とかそういったものにしばしば言われる「機能美」には、枕詞に「装飾を廃した」とかいうの言葉が置かれる事が間々ある。 けれども、そこで余計なものとして邪険に扱われている装飾の担う役割を、構造物自体が負っている場合、装飾を殊更蔑…

寓話作家の虚構性

アイソポス作の寓話の実在は確かではないものの、寓話の作家・語り手としての彼の実在は二千数百余年の間、長らく信じられて来たものである。 彼の名前が冠せられた寓話の中でも取り分け、有名な物語に『羊飼の悪戯』、通称「狼少年」という物語が挙げられる…

『件』より『真実はかく佯る』まで

人偏(亻)に牛と書いて、件(くだん)と読む。 依って件の如しーーとかいう言い回しがあるくらいだから、何とは無しに誰しもが意味を把握しているだろうかと思われるものだが、その辞書的内容はどんなものか? 試しに手元の紙の辞書を開いてみると、次のように…

馬鹿馬鹿しい事柄について

概して馬鹿馬鹿しい話というのは、必ず「語り手が」言わんとするところのものがあって、結局、それに誘導される事への不快さの元である。ただ、注意されたいのは、聞くところ見るところ、馬鹿馬鹿しい話の感想というのは、「語り手」の浅ましさに起因するも…

如是閑の犬、或いは…

(初出:同人誌『XIMAIPA/キマイラ』2020年11月22日号) 【記者=サグ・ンペンペ/胡韻】 『ニーチェの馬』というタイトルの映画がある。未見だが、別にニーチェが出てくるとか、そういう訳ではないらしい。彼の最期に纏わる逸話に触発されて制作された、彼の思想…

仰熒睨寱

自販機は夜更し人間の止まり木である。 帯に短し襷に流し、首を括るには丁度よしという塩梅の大昔に流行った黒くて長い蛇みたいなマフラーを二つ折りにして、その折り目に端を潜り通らせて、ぐるりと巻き付けると、何やら随分と髪を伸ばしたような心地になっ…

口先三寸

人間誰しも少なからず、自分の見ている世界の完璧性を疑わないものである。完璧などということは、即ち自分の見ているものの有り様それ自体なのである。そこに更に「完璧」と呼称し得るものがあるとするならば、必ずその状況には異常の出現が想定されている…

内田百閒『旅順入城式』『蘭陵王入陣曲』

内田百閒の小説のタイトルは外連味のあるものばかりだが、全体作品は軒並み外連味しかない香辛料みたいなのばかりなのだから、却ってそれが正直であり、だからこそ受けるのだろう。 コーヒーでいうとマンデリンのようなものだが、中でも、特に外連味の塊なの…

如是閑と文化勲章

毎年自ずとこの時期になると筆者(本稿筆者)が心身共に調子良くなるのは、文化芸術の秋云々の刷り込み教育の賜物であろう。学校教育の効果を、この歳になると熟感じる。 また、この「秋」は、自尊心の回復期に当たる。幼少期の刷り込み教育のそれと対になるの…

回数券雑景

2020/10/24 Mのドリンク回数券、6枚綴り今日使い切る。最後に飲めるコーヒー、やけに上手く感じる。白き泡浮かぶ。口当たり良し。 先日都内散策中に足の裏傷める。翌日、翌々日も痛むが、日中ずっと机に向かっているばかりなら、痛むのにも気付かず。立ち上…

ノスタルジックになるまで/日本アニメ電線・電柱考

はじめに: コミュニケーションの道具というのは、人やモノの交通を援けると同時に、妨げるものでもある。「電話」もその一つである。もっと言えば、言葉それ自体もそうである。 また、交通はそれが直接的であればあるほど、その暴力性を露わにしていく。時…

電気が隔てる内と外/日本アニメ電線・電柱考

はじめに: 電線と電柱がアニメの中でどういう意味を持つのか、という事を考えるのに、差し当たり、用意しておくべき「問い」は、電線と電柱は何のシンボルなのかーーというものだろう。 これについて、筆者はひとまず「電気」と「電話」のシンボルだ、とい…

懐中時計と書棚

東洋時計の懐中時計は、国産最後の懐中時計と呼ばれている。五百円玉を二回り大きくしたくらいのサイズで、厚みはコンビニで売ってる和菓子のア・ラ・カルトの中に入ってる茶饅頭ほどである。 これともう一つ、最近手に入れた商館時計を見比べると、後者の大…

シールとバーコード

子供の頃に、スーパーとかで親が買ってきた野菜や惣菜の値札や商品シールを剥がして、腕とか服に貼っていると叱られたものだった。肌が痛むからとか、服につけたままで洗濯機の中に放り込まれると厄介だから、とかそんな理由からであったが、今から考えると…

コスプレから作業服へ/長谷川如是閑初期文芸作品に託けて

背広はサラリーマンの作業着である。成る程、其れならば、背広の格式なんぞはすっかり作業の過程の中に繰り込んでしまえるから、着心地は大分改善されるものだろう。 人間、着ているものに相応しいものに身を包んでいる奴は先ずいないーーとは、若き日の如是…