カオスの弁当

中山研究所blog

#クラブサイベリア まで

渋谷というのは坂の多い町だ。台地で育った人間にとって、立っていてそれだけで足元が掬われそうになる土地というのは、なかなかそれだけの理由から、何やら寄り付き難い印象がなきにしもあらずだ。

「三十円ある?」

と、キッチンワゴンの荷台から毛むくじゃらの腕が掌を上にして訊ねてくる。自分が、ない、と応えると、彼は黙って銅貨を二枚、摘み出して来た。

ケバブサンドは以前は三十円安かった。そんな事を思い出しながら、前回来たのはいつだったか、思い出そうとしてついに食べ終わるまで思い出せなかった。

 

「クラブサイベリア」は何処にあるのか? そんな事を思いながら、慣れぬ土地を端末を片手に彷徨う人影がそこここに認められた。しかし道玄坂を昇降する人の姿は、往々にして首が前に折れ曲がっている。

目の前の景色はすっかり秋染んでいる。

ビルの名前は確かに間違いない。しかしどの入り口、階段、エレベータで降りようとも、看板は愚か、店の名前の彫られたプラスチックの案内まで見当たらない。

遂に自力で辿り着く名誉を放擲して、自分は段ボールを三つ四つ抱えた、前鍔帽を後前に被いだ青年に道を訊ねた。

「一旦、それじゃア、オモテに出て貰って……」

と青年はそこで一旦、言葉を区切った。

「ヤンキーみたいですね、や、オモテに出ろってそういう意味ではないですよ」

そう言って青年が笑う訳を理解するのに踊り場まで時間がかかった。

「そこの通りの出て貰って、左に真っ直ぐ行くと大きな看板があるんで、その直ぐ近くです」

振り返ると、これから同じところへ行こうとする若者が二人並んでいた。

お礼を言ってドアを押すと、同じく彼らもそのドアを通り抜けてオモテに出る事が出来た。

「ーーだそうですよ」

と私は彼らに笑いながら話しかけた。彼らの面持ちには少なからぬ困惑の色が看取せられた。

多分にそれは、照れ隠しと何より、目的地に辿り着く事ができるという喜びに加えて、今のやり取りの面白さを彼らにも分有させたがったのであるーーだが、それはただ単に私の独り善がりであった。

建物の地下で道を訊くというのは滅多にある事ではない。そもそも地下に潜る事さえ稀である。然し全体が谷であり坂である此処ら一帯の事情を鑑みると、それは然程奇妙な事でもなかったらしい。そんな事も分からない二次元人の私は、ひたすらに三次元の街中で戸惑っていた。

程なく、会場となる店の看板が通りに面したビルの壁面にデカデカと掲げられているのを見付けられた。

何とは知らず対岸にいた時、眺めていた待機列は紛れもなく我が目途とする集会の其れだったのである。

「『灯台下暗し』」

問わず語りの田舎者の唇を突いて出た言葉には嘲笑の泡が混じって、如何にもそれが態とらしく感ぜられたが後の祭りだったーー然し現実には「祭りの『前』」の事だったのだが……。

 

(2019/11/16)