カオスの弁当

中山研究所blog

銀象嵌星月夜銅丸矢立(ぎんぞうがん-せいげつや・あかがねまるやたて)

 矢立を買った。酢水に漬けて錆をとる。

 梅雨が明ける、その前に出掛け先へ手挟んでいく手頃な物が一つ欲しくなった。

 そんな所に、偶々目に入った品があった。いつの、どこのものなのか定かではない。銘はどうにか龍文堂造と読めたが、真贋は然程問題ではなく、さてこれから早速使えるかが一番の問題であった。

 実際問題、墨壺の蓋の具合がやや緩くて不安である。

 

 火星に探査機を積んだロケットが飛んだ日の午後である。湿気が飛んで軽くなった風の中を、堺から一日で届いた品物を受け取りに、借りた自転車で営業所に向かった。

 蓋と筆筒に二箇所象嵌があり、墨壺の蓋に三日月が、筆筒の上に星が重心から少し離れてぷっくりと膨らんでいる。店の触れ込みでは銀象嵌だというが、これも又定かではない。

 月は蓋の縁の中心から五時の所にあり、その中央には、鑿で引っ掛けたような疵が内刳りに出来上がっている。星は筆筒の真上にあり、露滴が一つ、そのまま固まったような形をしていて、全体其の飾りだけが飴細工のようでつい、引っ剥してしまいたい気分になる。勿論、煩わしいという訳ではない。

 

 装飾というのは見せびらかし、人と競うのでもなければ、少しで全く事足りる。装飾がないと、却って本体が剥き出しの印象を晒す事になって、煩わしく感ぜられる元だろうが、其の点、これは壺と筒とに其々一点づつあり、更に平らな三日月と盛り上がった星一滴の対なので、バランスが良い。

 ともあれ眺める前に、先ずは洗浄する事にした。

 コーヒーを飲んだ後に使っていたスポンジを下ろして、大まかに汚れを落とすと、百均で買った洗面器に拵えた酢水に丸ごと漬けた。

 墨池の中身は大昔に乾涸びた綿の成れの果てが詰まっていて、一見すると棕梠のようにも見えた。其の儘では洗えないので爪楊枝で掻き出してみたら、何やらミイラのようでもあり、生き物のわたのようにも感ぜら気味が悪く、捨てたゴミ箱の袋は未だ十分余裕があったが、最後は口を縛って外に置いた。然し見た目には、煮干しのはらわたのようでもあったが、同時に貴重な史料かも知れないという妙な感慨になった。

 果たして汚れも価値である、とは何処かで触れた言葉ではあるけれども、自分は飾って見て楽しむつもりで買ったのではなかったから、一頻り穿り返すと、蛇口の水で濯いだ後、洗面器の中に沾した。

 

 閲覧したサイトでは、酢に塩を混ぜて云々と書いてあったが、大方それは研磨剤としてだろうと判断して入れなかった。

 さて、そんな風に台所から穀物酢を拝借して薄めたりしていると、愈々自分のしている事が得体の知れない行為に思われてならなかった。

 蓋し、呪術の類ではあるまいか? 

 とは、民間療法を駆逐して憚らない時代の人間であるが故の印象だろう。食品として買ってきた酢を器物の洗浄に用いるのは、何か大変なタブーを冒しているような気分に自分をさせた。似たような感覚は、幼少の砌、近所の子供が砂場遊びに百均で買ったという「本物」の泡立て器やステンレスのボールを持って来たのを見た時切りであった。着衣水泳にも通ずる違和感である。

 

 嗅覚をいみじく刺激する酢酸に加えて、忽ち金属臭が立ち起こった。水は見る間に溶け出した錆でか青く色付いた。

 それを数分放置して、ある程度錆汚れが緩んだ所でスポンジで磨き、今度は歯ブラシを下ろして溝や目に詰まった汚れを掻き出した。一から十まで、冒涜的な感覚に五感を刺激され、作業以上に気持ちが随分と草臥れた。が、それは随分と心地の良い疲労であった。

 最後にベーキングパウダーを入れた酢水に又漬けて、今度は数時間「漂白」する事にした。

 所で、銅製品を持つのはこの矢立が初めてある。喫琲道具は粗方、陶製かステンレス製である。実用よりも趣味で揃えた方には、グラス容器もあったりする。

 なので洗浄時、最初の乾拭きで筒を磨いていると直ぐに熱くなって、話に聞いていた銅の熱伝導性はこんなに高いのか、と静かに驚いた。

 

 白い泡が浮いた濁り水が、徐々に青染んでいくのを確認しながら、洗面器を表に出した後、小休憩して又外出した。

 本屋に注文した本を二冊、取りに行って会計を済ませて、カバーをつけて貰っている間に、洗い終えた道具に名前を付けたい、という欲求がふとじんわり込み上げてきた。

 普段、持ち物に名前を書く事もしない人間の癖にして、妙なものだと思いながら、結局一日借りた自転車で、本屋の帰りに洋菓子屋にも寄った。

 店のガラスケースの前に、ほんの小さな羽虫が音もなく、ぶつかっては滑り落ち、又這い上がっては飛び上がり、滑り落つーーを繰り返していた。その虫の真正面にあった洋酒の香芳しいサバランを、祝杯に代えて購入しサドルに跨ると、念の為に持って出た長傘が意想外に煩わしく、仕方なく押して帰宅する事にした。

 

 道すがら、普段より長く感じる道は湿気がなくなって灯りが拡散しなくなったからだ、と気が付いた。

 

 すっかり暗くなった戸外から室内に持って帰ると、水の中の銅器は随分と明るく輝いて見えた。取り出して濯いだ後にも残る臭気と重さも相俟って、生き物の体を掴んでいるように錯覚した。金属器はひんやりとしていると許りに考えていた指に銅は魚と同じくらい温かく感ぜられた。

 クリームの上にチェリーを載せたサバランも、矢立を洗う間に常温になって濡れ始めて、皿に移して置いた拍子に蔕の付いた側へと沈み込んだ。こんな時ではないと飲む気にもならない貰い物のTWGの“Silver Moon Tea”を淹れて、窓を背にぼーっとしていると、テーブルの上に置いた菓子器と一緒に置いたそれが未だ名前の付いていない事を思い出した。

 

 それで付けた名前が「銀象嵌星月夜銅丸矢立」である。

 名前に勝ち負けのある世界から、不幸にも実用品として落札されたものでもあるから、見た儘を付けた次第である。

 「あかがね」の色が正に現れているのは、蓋の番の片方だけだが、この比較的最近、直した箇所であろう一箇所を以って、自分はこの矢立が良いものなのだろうと考える。

 

(2020/07/30)

 

 

【補記】:今日買った本(2冊)

・『龍膽寺雄 焼夷弾を浴びたシャボテン』龍膽寺雄(平凡社スタンダードブックス、2020年2月)

・『ありがとうって言って 二階堂幸短編集』二階堂幸(講談社KCDX、2020年7月)