カオスの弁当

中山研究所blog

如是閑の犬、或いは…

(初出:同人誌『XIMAIPA/キマイラ』2020年11月22日号)

 

【記者=サグ・ンペンペ/胡韻】

 『ニーチェの馬』というタイトルの映画がある。未見だが、別にニーチェが出てくるとか、そういう訳ではないらしい。彼の最期に纏わる逸話に触発されて制作された、彼の思想的世界観を監督タル・ベーラが映像化した作品であるそうだ。

 

 漱石の猫、百閒の文鳥、鏡花の兎、(龍膽寺)雄のサボテン、澁龍のドラゴンーーというように、ある人物と縁の深い生き物の組み合わせというのは数え上げると切りがない。

 そして、長谷川如是閑の場合は大抵の場合、犬が挙げられる。

 

 犬好きの作家や随筆家のアンソロジーが編まれる時に、如是閑の文章も又、屡々数えられる。

 

『犬のはなし : 古犬どら犬悪たれ犬』(日本ペンクラブ編、角川文庫、2013)
国立国会図書館オンライン | National Diet Library Online

 

 本田喜代治(1896-1972、社会学者(フランス))は如是閑の犬好きを次のように揶揄っている。

 如是閑翁は、よく知られているとおり、人間よりも犬のほうが好きである。犬のほうが人間の気持をよくわかってくれるという。わたしにいわせれば、そんなことはうそっぱちである。犬はこちらの思うように慣らすことができる。つまり条件反射である。それを翁は犬との人間の心の交流にすりかえているのだ。

(『犬の好きな如是閑』)

また、同じ文章の末尾でも、彼は的確な如是閑評を記している。本田は、自分の息子の為にわざわざ凧を作ってあげた如是閑のエピソードを紹介しつつ、「こういうところを見ると、人間よりも犬のほうが好きだと先にいった『翁の人間嫌い』と矛盾してくるようであるが、それはそうではないのである。」と断った後に斯う続ける。

 彼はわずらわしい人間関係によって、自分一個の世界を撹乱されることを極度に嫌ったのである。だから、争うことは本来、大嫌いである。

 しかし、聡明すぎるくらい聡明な彼には、ことがらの先の先までがよく見える。したがって人間や社会の欠陥なども遠くから見えてしまう。そこから彼の透徹した批評眼が成長した。それが往々論争の種を播くことにもなったのであるが、そういう場合、さきにもいったとおり巧みにしゃれやウィットでその鋒先をそらせ論争の尖鋭さを和らげたのである。

 

(『犬の好きな如是閑』)

 

 人付き合いの得意ではなかった長谷川は、若い頃から犬を飼育しており、生涯に渡って相当数を可愛がっていたーーと姪の山本幸子は証言している。

 又、如是閑は

いぬねこに心はあれど言葉もてかざらざるなり人とことなり

 という歌を詠んだ事も山本は伝えている。これは犬好きと並んで彼の傾向である所の、人間嫌いの癖が端的に表れた歌としても読めるだろう。

 省みられる事少ないではあるが、長谷川如是閑は生涯に渡り、小説や戯曲、短歌、箴言などを作する文学者としても活動を続けた。中でも白眉とされるのは随筆方面での活躍である。

 そんな彼の犬好きを語る上で看過し得ないのは最初の随筆集『犬・猫・人間』(1924)である。

 

 此の随筆集の中に収められてある「猛犬ジャックの話」は“K兄”という人物に宛てての返信書簡の体裁を取っている。前半部で、長谷川はKからの往信への逐次的回答を寄せた後、「少し話を転じたいような気にな」ったので、と断って、嘗て大阪朝日新聞社時代に芦屋に住んでいた頃飼育していたブルドック犬のジャックの思い出話を綴っている。

 ジャックは良種の室内犬であるが、他の犬に対して容赦なく襲いかかり、「大抵の場合は、相手を噛み殺してしまわなければ承知しない」という程の凶暴さで飼い主達の手を焼かせていた。縁あって如是閑が引き取った所、飼い主である人間に対しては「すこぶる分別があ」り、如是閑を見ると大喜びしながら直ぐに懐いた。然し、先住犬であるポインター犬のペチに対して矢張り牙を剥き、如是閑達を困らせるのであった。

 このジャックの心理(「サイコロジー」)を如是閑は次のように分析する。 

 彼は自分に対して優越と感じている人間には、あくまで従順で、自らがそれに対して優越であろうと感じている生物に対しては、それが同種であろうと猫であろうと、暴虐をほしいままにするのでした。

(「猛犬ジャックの話」)

 

 ところで、この「猛犬ジャックの話」は、その前半分の往信への返答内容から、“K兄”と称されている人物は、前段で紹介した本田喜代治(きよじ)その人と推測される。

 往信の中でKは数々の話題を提示している。如是閑はそれらを逐一、拾い上げて「ーー私には、一々諾かにはおられません。」という風に一応は調子を合わせている。その内容はという

 

・「新しい思想は古いものを破壊する、破壊は即ち危険である、という意味で一切の新思想は危険思想である」

・「新思想家はなるべく酷く扱って、死刑にでもなんでも処するがいい、そうすればいい加減な付焼刃が引込んで、命懸けの新思想家だけになるだろう」

・「本国を追われたマルクスクロポトキンに棲家を与えている英国には革命が起こらないで、これらの人々を追い払ったドイツやロシアに革命が起こった」

・「「歴史」の車輪が、おびただしいその挽手を轢き殺しつつギーギー廻って行くのを見ると、つくづく悲哀を感ぜられる」

・「人間に付き纏うお互いの誤解の宿命、それからのがれる道は言論自由のほかに何があるだろうか」

・「けれども相互の誤解のほかに、人間の間には、利害衝突の宿命のあるのを悲しむ」

 

と言ったものであった。

 加えて如是閑はKがその手紙に認めた様な内容を、去る専門誌に寄稿した旨をその誌名を示しながら記している。これによっていよいよ読者に対しては、此処で公然と槍玉に挙げられている、Kが何者かを知り得る手がかりを提示されている次第である。

 Kが投げかけた話題に対して、如是閑は仔細なコメントを廃して、気分転換と称して以前の飼い犬の話をするのであるが、当然ながら、それは言葉通りの意味での閑話ではなく、果たしてそこには並一通りではない彼の怒りが冷然と湛えられているのだった。

 

 如是閑の諫言や諷刺は基本、本田の記した通り、洒落やウィットに富み、それ自体小噺や寓話としての体裁を湛えるものである。ただそれは、決してやんわりとした調子ではなく、素知らぬ顔で思い切り相手の後頭部を叩き飛ばす勢いで振り下ろされるが如き調子を持つ。

 「猛犬ジャックの話」は、その激烈さを示す好例である。折角なので。長くなってしまうが、同文の結末部を引用する事にする。

 

 「ジャック、お前は、ほんとうにおかしな犬だ。お前たち犬の生存は、犬の兄弟どもの幸福のうちに見出されるはずではないか。ほかの犬をことごとく虐げて、お前一人だけが、お前の兄弟ではない人間に悦服して、無上の満足を感ずるとは何のことだ。人間はお前の兄弟ではない。人間のうちの誰一人だって、お前たち犬それ自体のために、犬を愛しているものはない、彼ら人間は、みんな自分自身の満足のためにお前たち犬を飼育しているのだ。〔中略〕何がお前に一番大切なものだと思う。それはお前の兄弟である犬たちではないか。それを片端から噛み殺そうとして、お前はどうして生きて行けると思うのだ。生きて行けたところで、お前に何の生き甲斐があるのだ。」

 「お前は言うであろう。『私は、優越者である人間に対する私の法悦に満足するのだ。それでいいのだ。ほかの犬どもには、その悦びはわからない。彼らは噛み殺された方が仕合わせなのだ。人間に対するこの法悦を感ずる犬のみが生存に値するのだ』と。」

 「そうか、それもよかろう。けれどもお前の帰依する優越者のうちには、お前が、人間にばかり悦びを見出して、お前の兄弟には噛みついてばかりいることを嫌ってお前を殺させようとしたH大佐のような人間もいる。お前が兄弟を噛み殺すことを許している優越者ばかりはない。人間がほんとうに思い返した時、お前は、人間からどんな扱いを受けるか知っているか。お前はさぞ安心だろう。」

 私はそんなことをジャックに言っては、彼がオットセイのような顔をして、ポカンと私を見ているのを大変可哀そうに思いました。

 

 こんなことが、あなたへの返信になるかどうかは知りませんが、もうあんな話にはアキアキしましたから、うんと見当はずれの犬のことを申し上げたのです。

 ご自愛を祈ります。

 

(「猛犬ジャックの話」)

 

 

 随筆集『犬・猫・人間』はしがきで彼はタイトルを当初「人間・家・犬猫」にするつもりだったと記している。だが、そうすると「人間否犬猫」と聞き違えて怒り出す人間もあると困るので、同題に改めたーーと断っている。

 此処からでも明らかなように、彼自身これが実際退っ引きならない文章である事を自覚しており、それを自嘲する体で公然と其の旨を示している。

 如是閑の癇癪は屡々、の取り巻き、基、「友人」(これは如是閑の言いである)達を大いに沸き立たせるものであると同時に、心胆寒からしめるものであった。

 先の「猛犬ジャックの話」と、後年の本田の回想を併せ読むと、果たして本田の記した如是閑の“犬好き”にも、異なった解釈が可能になる。すると途端に、本田と長谷川の此の「犬」を巡る両エッセイが剣呑桑原な様相を呈してくるものである。ただ、その剣呑さを敢えて此処で記すのは無粋というものだろう。

 

 この時期、即ち大正中後期に於ける如是閑の舌鋒の荒ぶりようは、今日なお瞠目せられるものがある。それは、検閲制度の敷かれていた戦前の言論界にあって培われた徒花と見ることも出来ようが、何より自由と解放の機運を以て明け透けな方面に直走っていた時流に棹差すものであったと読めるものであるが、その苛烈さは同時に相当に技巧的でありながら、稍もすればパロディじみた紋切り型の形式性を保持して、寧ろ一時代も二時代も古い芸風を纏っていた。それは、先端をいくよりも寧ろ稍遅れた形式の方が、より多くの人々に需要し得るだろうという目算の上に行われたか如何かは定かではない。

 しかし、結果として、著作を介してジリジリと交わされる、凄まじい緊張関係を読者は垣間見る事が出来たのであったが、これについても如是閑は自覚していたようで、はしがきで釈明している。

 一体、興に乗じてしゃべった言葉を、ほど経て本人に蓄音器で聞かされたら、冷汗をかかない本人はなかろう。これもそれと同じ化学的成分の冷汗を著者にかかせる。しかしすべて書物は著者に読ませるものではないから、よかろうということであった。そうである。読者が冷汗をかくことは、著者はある程度まで我慢し得る。

 すべて漫談である。強いて責任を取れといわれれば取らぬこともないが、根が漫談であるから、読者もまた著者と同じ態度で漫読されんことを希望する。

  大正十三年五月 著者

 スウィフトしかり、デ・フォーしかりだが、言論に対する規制が制度として敷かれていた時代にあっては、ウィット、基、頓知・機転が相当に発達するものであるようで、それは二十世紀初頭の本邦でも矢張りそうであったように観察される。

 当然ながら検閲は当局の担当者が実際に書物に目を通す作業であるから、従って、彼ら担当者は須く如是閑の読者であった訳であり、丁々発止渡り歩いた如是閑の敵役は、同時に彼の稀有の理解者であった訳であった。果たして一般読者はそんな事情も踏まえて読む訳だから、これをして彼の「文学者」としての活躍ぶりは、スリリングなショーとしても人口に膾炙していったと見て間違いないだろう。今でいえば、アニメ作品を、その制作現場の事情まで把握した上で観る様なものであろうが、官憲の取締りが行われる下にあっては、そのスリルたるや今日の比ではなかったであろう。

 

 並べて種々の時代状況や議論の経緯を踏まえなければ、如是閑の文芸作品の妙味というのは鑑賞する事は困難である。勿論、単に寓話や小噺として、エッセイとして読むのでも十分含蓄もあるからそれに著作は耐えられるものであろう。

 しかし、それは矢張り、片手落ち以下の消費に止まるであろうーーというのが筆者の見解である。

 1933年から刊行された『如是閑・文芸全集』に寄せられたジャーナリスト・千葉亀雄(1878-1935)の評ーー

ユウモアと諷刺のカクテルが、心憎いほど澄みきつた叡智に統一されて、一切の社会悪が、残膚なく暴露される。痛快といふ形容詞は、氏のためにのみ創り出されたか。氏の小説、戯曲は、断然、時代の斬奸状である。

(「社会性と力と知性と独創性の文学」)

を鵜呑みにして、文章も同じように嚥下するばかりでは仕方のない話だ。何故に彼が“反骨”と称されるに至ったかについて、今日理解される所の文脈に照らしても、結局はこれらの文芸作品群のウィットを抱握する迄に至らないであろうーー。

 だが、それは果たして筆者の預かり知らぬ所の話であるから、これまでにして本筋に戻る事にする。

 

 

 本田の如是閑評の一文は相当練りに練ったものではなかったかと筆者には推察されるが、果たして真相は歴史の大暗黒に霧散して久しい。蓋し、こうした、謂うなれば「内輪のノリ」を正にその研究対象とする事になる如是閑文芸研究は、近年、いよいよ隘路も狭まった感がないでもない。

 彼の文芸作品は、如是閑名義で最初に刊行された小説の原題『?』(『額の男』、1909)通り、徹頭徹尾、メタファーで占められており、それ故にその受容も含めて、今日からその謎を解明しようとすると晦渋煩瑣と感じられる所が山積している。

まさかに如是閑自身の「人間嫌い」は果たして、そのテキストの形式にも、明白な迄に示されているという印象さえあるものである。

 しかも、この作業を通じて得られる成果は、「ジョークの解説」に他ならないのであって、それは夏目漱石が『?』の書評に於いて、同作の弱点として示した所の正に通りである。

然し一言如是閑君に忠告したい。あの意見(オピニオン)は、世の中を傍觀する、頭腦的(インテレクチユアル)な遊藝に似た所がある。ヰツトは無論あり餘る程あるが、惜しいかな眞正の意味に於いての眞理、摯實なる觀察としての概括とはどうも受けとり惡い。
 いくら社會上人事上重大な問題に渉つても、派出で華奢な感が先へ立つてならない。無論さう云ふ場所も場面も必要には相違なかろうが「額の男」はあまりに其の色彩で蹂躙されて居る。
 だから讀者の方では、難有い教訓を得て啓發されたと思ふよりも、やあ又面白く地口(ぢくつ)たな才子だなと感ずる。又警句を吐いて人を驚かさうとして居るものと考へる。
 尤も此警句の中には決して安つぽいもの許はない。且君の學問の範圍、知識の領域に至つては我々老生をして眞に感服せしむる丈の素養は十分認められるが如何にせん一面から話すと以上の弊を帶びてゐる樣な氣がするから己むを得ない。

 

(夏目「額の男を読む」1909)

夏目漱石 「額の男」を讀む

 正直、長谷川に対する此の夏目の論難は、少なからず彼自身にも跳ね返って来るであろう難点であろうが、特に注目すべきは、曰く“地口たな才子”という評である。

 地口とは洒落の一種で、元々あるフレーズに音の似通った別の言葉を当てる、「文字り」「語呂合わせ」の事である。広辞苑なんかを引くと、例としては「着た切り雀」(元「舌切り雀」)、「年の若いのに白髪が見える」(元「沖の暗いのに白帆が見える」)が挙げられている。替え歌や、SNSで出回る「コラ」なども、広く括れば地口の仲間だろう。それの上手な、頭のいい奴ーーという印象がどうしても如是閑君の場合、前傾化してしまっているよ、というのが漱石先生の助言であった。

 

 真面目に聞いていたのに、最後の最後で肩透かしを喰らわせて相手を驚かす。或いは、最後の最後で突然、ブラックユーモアを披露して場をシーンと白けさせてしまう。そうかと思えば、笑い話が途中から人情噺になって……という様に、実際如是閑の小説や戯曲というのは、此の手の仕掛けが一つの作品の中でいくつも登場する。

 大体、物語というのはそういうユーモア=カラクリ=ネタは一つでも十分なのであるが、それを彼は幾つも仕込むものだから、その技巧性が目立って物語世界に鑑賞者が没入出来ない、というのが漱石の指摘である。意味慎重な会話やメタファーを数々登場させ観客を翻弄した上に、明確な伏線回収の演出もしないーーというような芝居の作り方は、何も彼ばかりではないが、それが結果的に「マニア受け」の域に止まってしまうーーというのは、大正でも昭和でも平成でも、そして令和の御宇に於いても変わらないのだろう。

 さて、それ故に、如是閑文芸作品の研究者は、恐らくは文章の中でも最も面白くないであろう文章というものを執筆せねばならなくなるのである。況やそれは「ジョークの解説」に他ならないからである。然も、大昔に流行った、今では殆ど知る人のいないようなネタの解説をするものであるから、居た堪れなさがないと言ったら嘘になる。

(そのむず痒さがどれ程、その志を砕くのに寄与するかについては、敢えて言うまでもないだろう。)

 今日でこそ、思想家の称号も冠せられた如是閑であるが、同時代的な、正に切歯扼腕するその活動の軌跡を追う内にあっては、如何にもそのトリッキーと評し得る言論活動の振れ幅の大きさに、百年後のフォロワーは翻弄されるのである。

 そんな長谷川の持っていた激烈さは、同じく記録される事のなかった往時の「機関銃の続け打ち」(富田砕花)と評された弁舌同様に、当時の人々にとっては相当、面白がられると同時に畏怖の念を抱かせたものであった事は、彼についての同時代人の評を読みにつけて察せられるものである。

 勿論、それには識者其々の粉飾が施されているのであるが、そうした界隈において活況を見せたコミュニケーションの資料として省みる事は十二分の価値があるだろう。又、その死後に於いて度々回顧される事のあった彼の評価は、特殊社会の活動の痕跡としての価値も有するものなのである。

 なお、こうした視点の有効性は、例えば、今日よく知られたエピソードであろう、府立高等学校の生徒だった丸山真男が警察の取り調べを受けた際に、彼を「目玉が飛び出るほどぶん殴」った刑事の発言を再考し得たりするのである。

 それはともかく、「貴様、何で唯物論研究会に入った」と取り調べのときに聞くから、「いや、如是閑さんは子供のときから、父が友人でして……」と言ったら、皆まで聞かずに、目玉が飛び出るほどぶん殴られて、「ばかやろう、如是閑なんていう奴は、戦争が始まったら一番に殺される人間だ」と言われた。

(丸山「如是閑さんと父と私」1984)

この逸話は、一般には完全に殴られた丸山が正しい側であり、又擁護される側として語られるものであるが、片や殴った警察官というものの当時的な「正しさ」とかいうものに対してはすっかり等閑視されていたりするのである。何故に、警察官は如是閑を斯くまでに「悪いもの」と判断していたのか、という事に対する思考というのは、いかんせん、此の強烈なエピソードからだけでは汲み取り得ない。寧ろ、それこそ、「国家の犬」と戦後のある時期に於いて盛んに揶揄された警察に対する、端から分かり合えないものとして相手を捉えるが如き姿勢を、読んだり聞いたりする者に構えさせてしまう凄みが、丸山真男を通じて伝播されてしまう嫌いがある。飽くまで個人的な経験の回顧の内に語られるのであればそれも未だそんなものだろうとして済まし得るだろう。

 然し、それが特定の印象を形成する教材として流布し始めたとすれば事情は変わってくる。そうした結果、反射的に等閑視されてしまうもう一方の論理というものに脚光を当てられる様にするための視座として、細やかながら役立つのではないかと筆者は考えていたりする。

 畢竟、全く故無くして長谷川如是閑は指弾され、弾圧されるばかりではなかったのである。彼は彼の大所高所から反撃し彼の敵を嘲弄し煩わせ続けたのであり、それが巡り巡って知人の息子が、そうであるという理由から殊更こっ酷く虐げられる因果を結んだーーという風に見る事も可能になるのである。

 なまじ、相手を鬼や犬に擬えて軽蔑する事は容易であり、そうしないようにするのはーー自分達こそ正真の人間であると自認して疑わないならば余計にーー困難であると言わざるを得ない。それは立場が逆転しても同様であろう。

 去年、2019年の如是閑没後50年に際して彼の顕彰活動に目立ったものがなかったのは、単に彼を支持していたコミュニティーの消失の明白な証拠であった。唯一、イベントらしいものは、NHKカルチャーラジオが年末12月に『NHKラジオアーカイブス 声でつづる昭和人物史』の中で全5回に渡って取り上げられた切りであったが、此の状況分析は、現在の筆者の見識では到底及ぶ所ではない。

 

 ただ、現在でもリアルタイムで長谷川如是閑の名前とその言葉は、インターネットの広大な海の中で、SNSを中心にミームとして増殖している。中でも『如是閑語』からの引用はTwitterで日々、無数のBotによって日に数十回投稿される程である。

 その中でも代表的な警句は以下のものである。

・少女の恋は詩なり。年増の恋は哲学なり。

・戦争の前は憤怒なり、戦争の中は悲惨なり、戦争の後は滑稽なり。

・女子は月経に支配せられ、男子は月給に支配せらせる。

 

(『如是閑語』)

 こうした伝播を経て筆者を含めた新たな読者を獲得して形成される「長谷川如是閑像」は、その存命中からそうであったように、見る間に肥大化して、都合良く使役せんとした読者に大いなるしっぺ返しを齎す。宛かも、物語に登場する人造人間・ゴーレムのようである。

 それは他人の言葉を嵩に着て、己が権威を増強せんとすればこその「祟り」でもあろう。

 さてこそ、自身に懐いた「犬」ですら、最終的に突き放さないではいられない彼を「古狸」と評したのはジャーナリスト・大宅壮一(1900-1970)であったが、流石にこの文章は載せられなかったと見て、彼の母校が創立百周年記念に発行した『長谷川如是閑 人・時代・思想と著作目録』(中央大学、1985)には、大宅の『長谷川如是閑論』が収録されている。

 

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(↑)偶然にも、この大宅の記事の切り抜きが「日本の古本屋」で購入した『倫敦』3版の扉に貼り付けてあるを発見して読み、膝を打った次第である。

 

 図らずも大宅が名付けた晩年の長谷川の仇名は、存外、彼に相応しいものであったかもしれないのだった。今日、二十一世紀の本邦人の間では、狸の印象は少なからぬ哀愁を喚起するものであろうが、その哀愁も引っ括めて、筆者は如是閑=狸説を支持(?)するものである。

 天狗の様に武闘派でも、狐の様に神々しくもなく、広く世間的に親しまれる身近な動物ではあるが、矢張り本質は人を化かして悪さをする。例えば、饅頭と思わせて泥団子を一杯食わせたりする様な事は平気でするし、腹が立ったら仕返しに化けて出て脅かしたりもするものである。

 その癖、その性根は臆病でそそっかしく、見た目も何やら鈍臭いーーが、何よりかユーモラスで愛嬌のある動物……、これが果たして今次的「狸」のキャラクターであろう。

 道化やアルルカンといった洋画の印象の色濃い人間に化けた悪魔的なキャラクターではなく、筆者は此の極めて日本的な動物を彼に添わせたいと思うものである。

 やや筆が滑ったところで、最後に彼の評として今ひとつ、興味深い詩人にして漫画原作者小熊秀雄(1901-1940)の詩『長谷川如是閑へ』を引用して結びに代えたい。

 

  長谷川如是閑

 

胸に手をあて

たゞ何となく

『自由』を愛しているお方

時代のハムレット

永遠の独身主義者よ、

私が女なら、

あなたの所に

押かけ女房に出かけます

飼犬どもをばみんな叩き出して

畳たゝいて

これ宿六

如是閑さん

長いこと理屈書いていて

理論の煙幕

『あの』『その』づくしで

あなたの良心済みますか

 

まあ‪/\‬隣近所のおかみさん達

ものは試しに

『あの』『その』教えて

ごらんなさい

これさ山の神

可愛い女房よ

まあ、まあ、怒るな

理論というものは

つまった時には、

あの、その、そうした、

こうした、それ自体、

然しながら、あの、その、

然し、それは、それ自体

そうしたもんだよ。

 

(『小熊秀雄詩集』筑摩書房、1953)

 

 

(2020/11/20・記)

 

【参考資料】

・『長谷川如是閑 人・時代・思想と著作目録』(中央大学、1985)

・『長谷川如是閑選集 第七巻』(粟田出版会、1970)

・『搦手から 大正名著文庫第十三編』(至誠堂書店、1915)

 

【補遺:1】(2020/11/20/02:40)

・今週末22日の第三十一回文学フリマ東京が愈々、開催されるかどうか、毎日更新される新型コロナ新規感染者数の数字を見ながら危ぶむ気持ちが、本来なら当日まで隠しておくべきだと思われた文章を公開する決心をさせたりした。無事、開催される事なら越した事はないのだが、「無事」というのは此の三連休の半月後の様子を見てから言える事なので、今からでは無事も何も言えた節ではない。

・本稿執筆中に、雑誌『世界』1996年11月号に掲載された『如是閑と犬と喜代治と私』(本田創造)の存在を知って、泡食ったものだが今更仕方がなく消沈している。確認出来次第、内容は更新する次第であるが、22日当日頒布予定の本稿においては、現行の儘、小誌『XIMAIPA/キマイラ』に掲載予定、悪しからずご容赦願いたい。