カオスの弁当

中山研究所blog

柳と電柱

 柳田國男がどこかの村と村とに相似形を見出し、それを何か「美しい」景色として称揚した理由が、何でも村の中程にシンボル・ツリーとして植えられていたカワヤナギの大木を発見した為であったとか言う話を聞いた。

 又、東北の雪深い村の戸口に、人がいる標の竿を立てていたーーという習俗にも触れつつ、そこに人の住んでいる事の証として植えられたカワヤナギの木とかそういう事物に感動したとかいう話は、ものは大分違う訳だが、表象としての電線・電柱にも通ずる風情を見出せると感じて、個人的に随分興味が惹かれた。

 

 川瀬巴水の新版画は多くが風景画であるが、中でも「モダン」と評される作品の内には電柱が描かれているものが少なからずある。

 それらは当然、お約束として絵の中では伝統的に街道沿いに植えられたマツやらヤナギになぞらえれ描かれているものであるが、また一方で当然ながらそれらは街路樹ではないのだから、それらには特殊の意味があるーーはずである。

 この、巴水の電柱を考える上で、柳田の日本文化論・風景論というのは同時代のものでもあるから、当然避けては通れないのであるが、本稿は何か学術を気取るものではないから、一寸こうして留意するに留めて先に進もうと思う。

 

 柳田國男の話に戻るが、東北の各地で伝わっていた小正月の儀式の中に、カラスに餅を与え得る儀式があったというのに彼が痛く感動したーーという話も併せて聞いた。

 所謂、「鳥追い」の儀式であろうが、餅を人間が与えるという話は自分は初耳だったので、なかなか気前の良い風習もあったものだな、と感じた。併せて、さっきの標の竿の話といい、村落のシンボル・ツリーの話といい、そしておまけにカラスといい、自分の中ではそれが何やら、「電柱のある風景」にそろそろ肉薄している事に気が付いて妙な感慨を抱いた。

 

 先日、『電柱広告六十年』(亀田満福・著)という本を入手した。これは数年前に興味を持って、一度は入手したいと思っていながら、概ね高価で取引される為に手が出せなかった品が、偶然、千円足らずで出回っていたのを発見して急ぎ押さえた品である。

 その本が出版されたのが、昭和35年(1960年)の事であり、末尾に付された解説がなかなか読者を感発するアジテーションとして優れていると感じられたので、ものは序でに引用しようと思う。

 街頭に立つ電柱は言わば枝も葉もない枯れた立木とも言うべきもので、極めて無味乾燥なものである。故にこれに化粧して美化することが、都市美の高揚であり、それが電柱広告の真の使命なのである、この点より言ふも、警視庁が公安委員会云々を口にして電柱広告を排撃せんとすることは当らざるも甚だしい。また電柱広告の広告主は、主として医師、質屋等の小企業者が多い、つまり“庶民のための広告”である点を重視せねばならない、庶民は国の宝である、庶民は健実で健康である、ここに真の文化の花が咲く、都市美高揚の声は実に喧しい実に耳を聾するものがある。しかも来るべきオリンピックのために都市美を斎正せよとの声が高い、しかしわれらの住む東京都の都市美の高揚は、決してオリンピックのためでなく、ここに棲む都民の日常生活の内容充実のための都市美でなくてはならない。

ーー「あとがき」松宮三郎

 『電柱広告は我国独自のものである、電柱広告を育成し、その美化の高揚をわたくしに絶叫してやまない。』という文で締め括られた、この檄文まがいの後書きは、半世紀以上後の読者には、本文とは独立した、独特の魅力を放っているものに映った。

 

 農村のヤナギなり竿なりというのが、都市部の広告を帯びた電柱や、或いは各戸に掲げられた表札等と同じく扱われる筈もなかろうが、その両者いずれ共廃れた後の代に生きる者としては、カラスやムクドリやハトらが止まる電線や電柱を見る眼差しの源流といいものが、こうした今や失われた風景の中にかつて懐胎されていたものではないかーーという夢想を甚だしくする愚を、致し方なく行うのに少なからぬ嬉しさを感じるものである。

 

 柳田にせよ巴水にせよ、そして先の松宮の檄にせよ、何となれば、これはそういう「ありきたり」の心情に基づく見立てなのである。そこにあるのは、甚だ情けない人恋しさと切なさであり、それが何か自身が木枯らしの風のさんざめく木立の動揺するのを見て、群れ成して羽撃くカラスの鳴き声を聞いて感じる何がしかというのが、正にそれなのではないか、という「気付き」の手がかりを得て、ひと心地付かないと言い張ろうとするのはなかなかに難しい。

 今ではすっかり変容してしまったけれども、未だ未だその風景の命脈は保たれているのではないかーーという気分を抱かせる。それに十分な、彼らがあちこちに残した文なり画を継ぎ接ぎしていく事で、出来上がるのは不恰好で不様な、そして何より学問的手続きには背くものではあるかもしれない。けれども、それは端から学問の為にある景色でもなければ、生活でもない訳だから、何かそうした倫理や道徳にそぐわないから卑しいとは思われない。寧ろ、思う方が強引であるーーと幾らか強い調子でものを書く気持ちも昂然と起こって来る。

 それに自分は、何も過去の景色を追おうというのではない。今目の当たりにしている景色を風景として扱おうというのである。

 

 さて、そんな調子というのを、同時代の同世代人の諸氏は概ね冷ややかに受け止める事であろうとは思う。けれども、それを含めてそんな態度というものを無視して、自身は電柱と、そこに止まったカラスの鳴き声に耳目を傾注して、そこに人間の切なさの後始末を見出そうとするのである。何ぞ、ヤナギが立ち枯れて朽ちようとも、装飾を引っ剥がされて電柱が無味乾燥な立木と成り果てようとも、未だ人間はそこまで枯れてもいなければ、乾燥もしていない。

 そこに都鄙の別は無い筈である。

 

(2021/11/30)