カオスの弁当

中山研究所blog

『「世紀末」から「新世紀」へ』

 19世紀後半から20世紀初頭にかけて西ヨーロッパで猛威を振るったジャポニズムの影響が、偏西風に乗って「元ネタ」の日本で持て囃されて、結局それが約1世紀経った今でもサブカル界隈で注ぎ足し、注ぎ足しされ続けているーーと最近、改めて思うようになった。

 それは、表舞台にあっては少女漫画であるとか広告・雑誌のデザインを通じての養生であったかもしれないが、今一つ自分の関心の寄せる所は、専らそうした表舞台の活動が「消費」と呼べるなら、舞台裏の活動としての「創作」の場を提供していた学校教育の中での美術教育や課外活動としての部活動、そして大学生らの自主制作活動であったりする。

 そうした、生徒や学生らによる、趣味とも勉強とも職業訓練とも完全に決め付ける事の出来ないような活動の性質の起源を辿ると、そもそもがこれらの活動が手本とした泰西の動向の性質に行き着くのではないかーーと思うのは甚だ早計に過ぎる架橋ではある。

 

 だがここで大雑把に19世紀末から21世紀を目前に控えた20世紀末までの一世紀半に近い期間を取り敢えず、一つの式にまとめてしまいたい。

 それは観察するには余りに近い過去の様でもあるし、すっかり見飽きた題材である気を起こすものであるがーー取り敢えずこれを、前世紀の尾を引いた、所謂「21世紀」的立場からではなく、語って見ようとするのは、既に四半世紀に及ぼうとする今世紀の初頭に在る人間としては楽しい「遊び」である。

 偶さか起こった、近年の災禍に寄って方々で著しく断絶したと思しき「部活動」の歴史を振り返るにつけ、それらが今日抱える教育現場の労働問題や、何よりか重大視される人権問題にも視点は移ろうものだが、それらについて又別に検討する際に於いても、そもそもが「部活動」や、近年では「やり甲斐搾取」の温床とも呼ばれる「活動」の場というものがどの様に教育制度の内部やその近傍で開始・展開していったかについて把握しておいて損はないだろう。ーー但しこうした話題は飽くまで、後付けの理由に過ぎぬ。

 

 ゲームというものは、先ずそのタイトルの魅力に惹かれて、着手すべき類のものだろう。

 そんなゲームのタイトルを思い浮かんだから、取り敢えずルールとか内容とかは傍に置いて提案してみようというのが本稿の主旨である。

 名前だけ、といえばそれまでであるが、名前があるなしでは大分勝手が違って来るのは事実であるから、一先ずここに投稿した次第である。

 

 

(2022/04/11)