カオスの弁当

中山研究所blog

夜汽車の通る風景

 100年以上前の絵葉書の画題に「夜汽車」がある。文字通り、夜中、山間部や海浜を走る機関車の絵・彩色写真を刷ったものであるが、今時こういった絵を見るとノスタルジーとかそういう感想が真っ先に浮かぶものであるが、昔はどうだったかというと当然、そうではない。

 「夜汽車」の絵葉書は概ね3パターンに分けられる。

 ① 橋を渡る場面

 ② 山間部を走る場面

 ③ 鉄道の為に整備されたエリアを走行する場面

 ③ は曖昧な表現ではあるが、鉄道愛好家でもない自分には中々難しい。

 言うなれば、機関車が描かれるのは当然の事として、それが走行する場所・風景というのが概ね3パターンに分けられるーーという事である。

 ① は水辺・海辺、② は陸地、③ は開発地、という風にすれば対比も容易である。

 

 さて、こうした景色というのは実際、辺鄙な所にわざわざ足を運ばなければ見に行けない、空想的な景色である。そもそも鉄道は、その排煙やら騒音の関係で概して主な居住区域の外に敷設されたものである。

 然るにそれらを寄ってわざわざ見ようとすれば自然、辺鄙な界隈まで出向く必要があったという訳であるが、そうした「普段の生活の場と一風変わった景色」というのが、絵葉書という代物に相応しい絵であったのは、絵葉書の持つ性質にも因むものであったろう。

 

 絵葉書は差出人と名宛人の双方にとって別々の価値を持つ。だが、両者にとって何れにせよ、概ね絵葉書に描かれた事物や景色というのは生活の外にあるものである。それら「外」の様子を絵葉書は紹介する代物であったりする。

 夜汽車の絵葉書の話に戻ると、それらは特定の場所を描いたものというより、差出人と名宛人の双方で同じ景色ーー「外」の様子を観察、共有しようという意図の下で交わされた(少なくとも実用面に於いては)ものであったといえよう。

 或いは、既にある何某かの共有する観念に姿形を与える意図でもって相応しい図柄が選ばれたとも考えられる。

 そこで、夜汽車は如何いった意味を持ったかーーについて考えてみると、絵の中で機関車は飽くまで彼等、当時の人々にとって同時代の事物であって、その通行する背景の景色こそが彼らのノスタルジーの向かう先であった事が推量される所のものである。

 

 それでは、①〜③ のそれぞれについて、少し解説を加えたい。無論、相当粗野な説明なので容赦願いたい所だが、初めは① についてからである。

 橋というのは、今も変わらぬ土木建築の代名詞であるが、19世紀後半の日本においては、巨大建築といえば概ね橋こそがその象徴であった。

 今でも全国各地に架かる大橋は、その土地の歴史と誇りの象徴として内外に知られる所であるが、今よりもなお、その意義も存在感も大きかったのが一世紀半より昔の事情である。

 然し、そうした橋も盛んに架け替えられるようになって、機関車の通行出来るような頑丈になった橋は以前の外観とはすっかり違った、逞しい鋼鉄と石造の威風を湛えている。

 今一つ、土木には河川改修工事等もある訳だが、その様な大規模工事が今日、二十一世紀の人間の想像する規模で行われる様になるのには、絵葉書の流通した時代を下る事、尚約半世紀の時を待たねばならない。

 此処では鉄道が往古の景色を一変させた事を示す為に、先ず背景がどの様な意味合いを有するかについて関心を払う必要があるのである。

 

 話は少しズレるが、以前ネットで電線や電柱が伝統的な景観を破壊するものとして批判する文脈で、北斎の「赤富士」の絵にあり触れた電柱のシルエットをコラージュした画像が拡散されたら、却ってその絵が人口に膾炙してしまった事があったが、このコラージュ画像を批判的文脈で作製した人々の手法こそが、果たして昔絵葉書を作製した人々のそれを踏襲したものであるーーと筆者は考えている。

 

 閑話休題。続いて② 山間部を通る場面についてである。

 これは屡々月を背に疾駆する列車を描いたものであるが、そのスピード感というものは雄々しく棚引く煙突の煙が示すものであって、シャッタースピードを調整して、残像やぼかしを用いて表現されるものではない。

 月を戴く峰々の絵は、それこそ山水画の長い歴史の中で浮世絵にも踏襲された、古典的な画題である。が、その中を「現代」(当時の)を象徴する機関車が煌々と灯りを灯しながら走る様子というのは、今からでは一寸疑問符が浮かぶやも知れないが、それこそが「自然と文明の調和」を描いたものでなかったか、と考えられるものである。

 というのも、そこに描かれる景色というものは、遥か昔、更にいえば空間的にも海を隔てた向こうの深淵なる歴史的文脈と遥々繋がったものであるからだ。

 歴史即ち風景、自然という「絵」に於けるお約束を踏まえたら、そうした伝統的価値観そのものとも言える背景を担ぎ、勇しく煤煙を月光に反射させる汽車の姿は、丁度、遠く山の頂より遥か天上から悠久の時を越え、人間の営為を見詰め続けて来た存在に対して、今正に嘗てない威勢を地上で発揮し続けている「現代人」の勇姿の寓意とも解し得るものだろう。

 

 上記の内容を踏まえて、③の景色を見ると、これはそれまで見て来た様な伝統的な風景を描いていない様に一見、認められるものだが、これは果たして「風俗画」として見た場合、その位置付けは明瞭になるだろう。その一見した歴史的「飛躍」こそが③ の核心である。

 当時に於ける「現在」から、これまで見て来た「過去」と自分達がこれから結び付ける「未来の景色」が、その風景には示唆されている。但し、未来は描かれているものではなく、その現代の様子は、未来から見た時にこれまで描かれて来た画題の様に理解される前提で描かれたものである事を企図したものであろう。

 詰まりそれは、将来、振り返って昔届いた便りを改めた時に懐古され得るだろう現在の景色を投機的に用意した結果の「絵」なのである。

 

 「Long,long ago」に対置された「Present day, Present time」の意味は、その実、現代=同時代的な感覚ではなく、「遥か未来のどこかの時点」を指すものであるーーという見方に立てば、今日日二十一世紀初頭に私たちがその古い絵葉書を見た時に感じるノスタルジーは、差し詰め、そこに描かれた「未来への期待」に感化されたものでもあったりするのだろう。

 決して自分達が体験した訳ではない過去に対する感覚は「懐かしさ」ではなく、或る時代に於ける「憧れ」への共感を、過去という時間的順序に引き摺られ郷愁と取り違えた結果に生じるのではないかーーとは、全く筆者自身の見解である。

 そうした、現在への期待と将来への憧憬を具備した表現を回顧した際の最も相応しい評価は既にして在る。

 曰く「訪れざりし未来」という。この言い程的確に、夜汽車の行方を物語る言葉もないと思う。

 

(2022/04/19)