カオスの弁当

中山研究所blog

 それはよくある光景だった。電車の中でひたすら窓に向かって口角泡を浮かべて喚き散らしている、大抵は年齢よりも随分と老け込んだ男が一人、周囲に無視されて放置されていることへの当て付けからか、列車が速度を増すに連れて愈々声量も大きくなる。

 周囲の沈黙が男を押し潰し、磨り潰して消し去ろうとするのに彼はなかなか居なくならない。それどころか、靴の中に入った小石の様に、いつまでもそこにいて自らは動こうとしない。だが知らぬ間に彼は居なくなっているものだ。単に声がしなくなっただけなのだが、男の特徴はただその支離滅裂な言語、耳障りな独言しかない。

 こういう手合いの奴は、実際何処にでもいて何処へでも出没する。そうと気付かない、気付かれないのは彼らがいつでも声を発している訳ではないからだ。各自それぞれの事情と判断によって彼らは信号を発し、啓発する。彼ら自身が何かを受信しているのではなく、彼らはひたすら受け取り手のいない情報を発信しているに過ぎない。彼らの一言は長く、冗漫で、要領を得ない。故にいつまでも送信が終わらない。「更新中」と「交信中」のアイコンが彼らの頭上には見えずとも常に回転し続けている。その負担が彼らを余計に苛立たせる。結果として暴れ出す時、彼らは自身が草した文章を喪失している。宛先は勿論、送り主も判明ではない。

 

 その壁がユーザーの一人だと気付くのにはそう時間は係らなかった。然し、その中に人が入っている事、何かのバグで埋まってしまっている訳ではない事に気付くまでには数十秒を要した。全く詰まらない冗談だと思った。

 そういう、一発芸的な面白さを求める奴が屯するには未だ少し敷居が高過ぎるーーが故にそういう事を仕出かす、自己満足的な奴が出て来るのは、いつ何処で何が流行っても起こり得ることだった。

 壁には文字が浮かんでは消え、そして端の方からビッシリと今までにそれが表示した文言が一覧となって表示されていた。その一つひとつにリンクが貼られていて、そこから個別の「記録」にアクセス出来る。掲示板と伝言板の合いの子みたいな、然しそこには壁以外、誰も書き込めないし、別にルームの記録を付けている風でもなかった。

 

 > なんでここにいるんだよ。

 

ーーと屡々、煽るユーザーに対しても壁は沈黙していた。その内、この「壁」はチャットの監視用のアバターで何者かが延々と個人情報を抜き去る為に設けたロボットではないか、という嫌疑が自然生じたが、通報され、凍結されたと思いきや、直ぐにも解除され、相も変わらず「無害」な文言を表示し続けた。

 

 すると、次にこの真似をする輩が現れ始めた。もうその頃には、サービス自体が新鮮さを失って、新規が続々と押し寄せて来るタイミングに移行していたから、見切りを付けた「古参」連中からさっさと退場して次の遊び場を見付けていった。

 果たしてそこにも彼は出現した。最初に気付いたのは、イヌになり切って遊んでいたユーザーだった。用を足そうと、隅の方に並んだ電柱の一本に狙いを定めた所、その根元によく出来た三色スミレの花が一株植わっているのを認めた。

 これに関心を示したイヌは直ぐ様、友人らを連れて此の花を観察した所、その花弁のテクスチャーにはビッシリと犇くアブラムシのアニメーションが投影されていた。然も、この虫達の姿はいちいち何か文字らしき画像を浮かべては瞬間々々に消えていった。

 その花自体も又、暫くして枯れてしまった。ただ発見されて以降はその様子が確りとユーザーらに録画された為、その内容から恐らくアイツだろうと推測したコミュニティーの面々は、全く水をさされた気持ちになって心底ウンザリさせられた。

 

 彼らは「壁」の不届きな宣伝行為に憤慨した。喫茶店で店を開くマルチやカルトの所業であると彼ーー何故か、「彼女」ではなかったーーを非難した。「壁」は、誰かが思い出して話題に上げる度に地味にランキング入りを果たした。既に壁は壁でなくなっていたが、最初に現れたアカウント自体は依然としてそのルームに存在していたが、既に寂れた観光名所化していた。既に彼は伝説の、即ち過去の存在となっていた。

 だが、イヌが(此のイヌは、自分が用便を果たそうとした所に件のスミレがあった事に啓示を受けて、以来、フィールド内に隠れていた「壁」を次々見つけて行った)その後に見付けた彼の独言は様々な形態を採っていた。

 蜂の巣だったり、蜘蛛の巣だったり、屡々昆虫に自らを仮託しているかの様に思われたが、その次は疑似大気の密度を調整して、ある角度からライトを当てて見てみると、そこに陽炎として独言が浮かび上がる様な場合もあった。

 当然ながら、そんなだから終いには彼を本当に崇拝する連中が出て来てしまって、その中には嘗てあったサービスに早々見切りをつけて渉り歩いていった様な賢いユーザーもいた。

 最初に現れた時から既に三年が経過していた。するともう好い加減、「壁」を無視し続けるのも大概面倒だと思う人間が出て来ても無理はなかった。他方で頑なにそれを憎んで非難し続けるユーザーもボチボチ徒党を組み始めたが、これも結局は消耗した結果、その様に彼ら自身が変質したーーというべく他になかった。

 

 壁はもう壁ではなくなってしまっていた。最早どれが「本物」の壁だかも分からない程に、その模倣子とコピーとが、何処も彼処も埋め尽くしてしまっていた。

 或るユーザーはーー最近、如何やらパートナーができたらしいーー、

 

 > 如何にも、これが目的だったんだろう。

 

と分かった様な事を投稿していた。

 ただ、矢張り「専門家」から言わせると、壁はパフォーマンス・アーティストの一であり、然しながら真の狙いは虚無僧の如く、簾越しに狭い世間を観察する事であるのだそうだった。

 

 > 「壁に耳あり障子に目あり」

 

 この、恐ろしく古い諺をただ体現するだけの為に作られたアートが一人歩きした結果が今日である、というのである。

 ミームを拡散しようとする意図を感じ取るユーザーは、二番目に彼が採った形態を根拠に自説を優位に置こうとする。だが、それに対しての批判は、そうなると彼が最初に「壁」の姿をして現れたのと辻褄が合わないーーというものであった。

 

 観光名所化した壁は保存され、その更新はゆっくりではあるが長らく継続していた。

 だが当該サービスの終了が告知された翌日正午から、その更新はぴたりと止んだ。解析の結果、それは最初から「壁」にプログラムされていた、自動的な反応であった。

 無数の魚拓やアニメーションが「壁」を保存したが、最新の壁の所在は、斯界の泰斗に君臨するイヌを始め、トレーサーにも見付けるのが困難になっていた。

 フォーラム内のスペースに報告される代物が、果たして独語なのか、それとも単なるシミなのか否かの見分けはとても素人には付けられなくなっていった。最早、全くイヌ達の鼻だけが頼りという様な有様になっていった所で、七年が経過していた。此の間に、イヌは何度か入院しており、その後継者が度々内ゲバを起こしてはアカウントを凍結される騒動が起こっていた。

 

 そうこうしている間にも、惑星表面の地表はジワジワと水底に沈みつつあった。日差しは野山を文字通り焼き尽くして、炎は赤々と民家の甍を沸騰させ、丸裸になった山肌は滝の様に滑り降りて、麓の街と水源の湖とを悉く埋め尽くした。

 社交の宴は相も変わらず盛況であった。他方で飢えた子供達は所構わず矢継ぎ早に透明になった。穀物倉庫は爆撃され、相変わらず空は清々しく、海は満々と水を湛えて、遠目から見る分には然程変化は見られない様子であった。

 壁に書かれた独言は余りに長過ぎて誰にも読めなかった。又、余りに更新の頻度が屡々なので記録者は整理の度に困窮した。平文で書かれたそれらに読むだけの価値を見出した者は彼の崇拝者以外いなかった。それすらも読むというよりかは「占う」のに近かった。

 

 誰かがそれを「風」に喩えて、自身らを屋根の上の風見鶏に喩えたのに対して他のユーザーが揶揄し、返信した。

 

 > それはお前だけだ、気持ち悪い。一緒にすんな。

 

 さてこそ、パーティーはこれからも盛況である。壁の居場所は杳として知れない。

 

(2022/08/04)