大正デモクラシーを代表するジャーナリスト・長谷川如是閑(1875-1969)が東京で暮らした家が、かつて中野区東中野に存在した。現在、宗教団体「東京黎明教会」の事務所が建っている場所が、凡そ嘗て彼の家の在った場所である。
俗に「東中野の家」と呼ばれる如是閑宅は近所からは「犬の家」とも呼ばれており、庭には常時十頭ほどの犬が飼育されていたという。
如是閑が東中野で暮らしていたのは、大正時代中頃から昭和初期にかけての約二十年ほどの時間であり、その間、彼の肉親達は隣の新宿界隈に暮らしていた。父・山本金蔵と弟・大野静方らは大久保百人町に暮らし、兄・山本笑月は四谷大木戸跡の目の前である、四谷内藤町に暮らしていた。
同時代に於いて、周囲からは「如是閑の趣味」といえば専ら弓術や登山などがいわれていたが、彼の犬道楽については、それが終生のものであったにも拘らず、意外と趣味としては語られる事の少ないものであった。
そこから察するに、同時代の如是閑の取り巻き連にとって、如是閑の犬飼育は、如何やら些か触れたいとは思えないテーマであった様である。そして、その理由に関しては、蓋し如是閑自身が自分の犬への思い入れや溺愛ぶりについて、異常だと自嘲気味にエッセイに書いていたりする所から、取り巻き連の反応も何となくそんなものであったのだろう、と思料されるものではある。
ただ、如是閑自身は自身の犬やその飼育を題材にしたエッセイはまあまあの数残しており、特に児童向けの雑誌に寄稿されたエッセイに関しては、文芸雑誌上で秀作であると記者から褒められる程ではあった。
而して、そこからも果たして察せられるものだが、彼の犬の飼育とその拘りなどは、同時代に於いて、いい歳した大人がするにはやや子供じみたものであると見られていた様に本稿筆者には考えられてならない。それは丁度、一昔前ふた昔のオタクや「子供部屋おじさん」に対する世間のーーいや、今でも実際の所は大概そうなのであろうがーー評価にも通ずるものであろう。
語弊を恐れずに書けば、それは如是閑の「女子供じみた」側面であり、彼の周囲に居た、社会的な地位も確りとした成人男性諸氏にとってみれば、何とも奇妙な、コメントし辛い奇癖の類でもあった事だろう。
成る程、如是閑は愛犬家には違いなかったが、他の愛犬家と決定的に違った点は、犬の繁殖や血統に関心を示さなかった点にある。犬に限らず、凡そ動植物の飼育を趣味とする際に、繁殖と血統に関心を払わない事は、素人同然も良い所である。これは現代のコンピューター・ゲーム全盛時代にも引き継がれており、凡そ「育成ゲーム」にあって、血統と繁殖を要素に取り込んでいないものは皆無であろう。
然し、流石は生涯独身を貫いた伝説的「ひとりもの」だけはあって、愛犬家であっても彼は、犬にも独身を強いた上で、その代わりに彼らの躾に拘った。それは同時代にあっても、些か酷である、とーーそれは今日的な価値観に基づく動物に対する憐憫ではなく、「動物は動物らしく過ごさせるのが動物にとってもいい」という、飽くまで人間本位のコンセプトである「動物」という概念に相応しい生き方を動物にさせる事が人間道徳に適っている、という価値観に基づく、動物に対する感情であるーー言われたものであったが、如是閑は飽くまで、犬を自分の「家族」として認めて、その家族に対してその家の「主人」として、家族の一員として見苦しくない生活態度を弁えさせ様として、躾を施すのに腐心していたのである。
そんな躾は、果たして同時代の人々から、丸で犬を人間扱いしていると映っていた様で、その奇異の眼差しには如是閑も幾分気にはなっていた様で、稍もすれば、彼の犬の扱いは、人間を犬と同列に扱うかの様に受け止められる嫌いもあった。1914年に出た随筆集『犬・猫・人間』には、そんなご意見に対する彼の釈明なんかも冒頭に掲載されているが、兎も角、彼が“高が犬”にそうまで入れ込む事に、如是閑自身は「独り者のさが」的な自己分析を行っている。
或意味、如是閑の生ける作品でもあった、東中野の家で飼育されていた犬たちは、果たして番犬でも猟犬でも闘犬でもなければ、コレクターズアイテムになる様な血統書付きの犬でもなければ、何か優れた因子を子孫に残す様な事もなく、歴史の彼方に忘却されたもの達である。それぞれにちゃんと名前のあった犬たちではあったが、彼の愛した「コレクション」もとい「家族」の存在は、今や殆ど誰からも顧みられる事はない。
もしかしたら、今でも何処かの家に、ひょんな事から如是閑の家の犬の子孫が生きているかも知れないが、その様な由緒は決して伝世していないだろう。また、仮にその様な由緒が残っていたとしても、その犬の上に、如是閑の家の因子は遺伝してはいないだろう。ーーというのも、飽くまで後天的な教育と学習の産物である如是閑家の躾は、その犬ただ一代の上にのみ止まるものだからであって、且つ、犬自身がその躾を、主人亡き後に己が子孫に迄伝える事はあり得ないからである。
そうした「虚しい」趣味に没頭していた如是閑を、当時周囲に居た彼の友人やフォロワーが如何思っていたかは想像に難くない。それは丁度、現代の欧米人が、チベット僧の修行の一環として行われる砂絵を見るが如き感想を抱いたかも知れないし、或いは、優れた知性を持つ老人が持つ奇っ怪な趣味ーーいつまでも子供じみたお飯事に戯れているーーと感じられたかも知れない。
だが、それこそが、作家・芸術家としての如是閑叟の神髄であるーーと、本稿筆者自身は声高に主張したいものである。少年時代にーー特に男子が抱きがちなーー孤独と疎外感を終生大事にして手放さず、これを文藝作品で表現するだけに留まらず、犬という動物を愛玩する、という形式で“表現”し続けた彼・如是閑の「痛々しさ」こそが、彼の真骨頂である。
それは、ホームレスが自分と同じ様に寄るべない野良犬をパートナーにする様なものであり、何となれば、「魂にないもの」に自己を投影して自らを慰撫する虚しい営みとも解釈される。今でも、「大の大人」足れば、動物に心やら魂があるという様なセンチメンタルな見方をするべきではない、というのが真っ当なスタンスであろう。
だが、如是閑は、そんな卑しい動物(もとい畜生)“なんか”に対しても、そこには魂や心があるはずないーーと、 いい大人になっても居直る事が出来なかった訳である。
その結果が、家族から一人、少し離れた郊外の家に「犬の家族」と暮らすーーという選択にも繋がったものであろう。彼の大きな財産は、概ね其の膨大な蔵書(これは1945年4月頃に行われた空襲によって焼失した)と言われて来たが、果たして彼の犬も、資産価値はなかったかも知れないが、彼の財産には違いなかったであろう。
所で、昭和初期の少年の間で大流行した漫画『のらくろ』の主人公は、黒犬の野良犬(通称・のらくろ)であったが、その作者・田河水泡(1899-1989)は、当時の自作の人気について次の様に考察している。
曰く、児童福祉法なんかなかった時代において、多くの子供達(主に男児)にとって、自分達より社会的に下にいる存在は野良犬位しか居らず、そんな野良犬であっても、社会の中で居場所を得て、出世していくーーという物語が子供達の心を掴んだのであろう、と。
何より、田河自身も、両親を早くに亡くして孤児(みなしご)となった境遇から、のらくろを分身として捉えていた節もあるから、そうした作者の感情移入が読者にも伝染したとも考えれば、この作者自身の考察も強ちではないだろう。
他方、如是閑の作品にも、度々のらくろ的な存在、即ち社会のはみ出し者的なキャラクターが登場するが、概ね彼らはのらくろの様に自身が活躍出来る居場所も栄達の道も得られず、社会の中で翻弄され、心身共に擦り切れていくだけである。
それ故に如是閑の作品は余り人気を博す事はなかったが、蓋し、其の様に商業的な成功を得なくてもいい作品を如是閑が書き続けられたのは、何より、作家しての地位とは別に、ジャーナリストとしての確固とした地位を固めていた上に、両親や兄、盟友を始めとした支援者の存在があり、又、自身の身の回りの世話をしてくれる家族(義妹たち)の存在があったからであった。犬の餌やりも彼の家の女中の仕事であった。
これに対して、漫画家である田河は、漫画を描く事で生計を立てていかねばならなかった事情が、作品の内容にも大きく寄与していた。のらくろは作者が生きていく為にも、何が何でも生き延びて昇進を続けなければならなかった訳である。
他方、専業作家ではない如是閑の主人公達は、それで作者が食っていかなくてもいいので、散々な目に遭わされた訳である。その意味で、彼の作品である犬達も、彼の生計の範囲内で飼育された、特に何の役にも立たない動物達であった。
然し、其の「無用の用」こそが、後年、評価される様になると、往時に於いて大人気であったのらくろは一転して「軍国主義の走狗」呼ばわりされ作者・田河が暫く日照りに苦しむ羽目に陥ったのは、蓋し戦後の如是閑の評価と好対照をなしており妙である。
蓋し、寄るべない孤児であったのらくろが得た居場所が、所詮は誰かの「走狗」となる事であった事は、現代社会に於いても中々示唆に富んでいる一事である。他方、如是閑が其の処女作『ふたすじ道』で描いた孤児の顛末は、のらくろがしなかった今一つの選択であり、それは現代社会に置き換えてもなお、通用するものである。
如是閑と水泡は共に東京の人であり、時代も少なからず重なる作家・著述家同士である為、比較するには中々打ってつけの人物であるが、既に本論から逸脱し過ぎている為、これ以上は割愛する。
如是閑の話に戻せば、彼が失ったのは、言うなれば彼の生まれた時代と、そこに嘗て在った社会とそこで営まれていた「家」であり、「家族」であった。それを、彼自身の言葉で言い換えれば「秩序」となる。そして、その秩序を再現するのに適した身近な存在が犬達であった事は、彼の「犬の家」を考える上で重要なポイントである。
今はなき「犬の家」ではあるが、そこで「主人」として君臨した彼が、家を治めるのにどの様に振る舞ったかは、ジャーナリストとして活躍した彼の思想を考える上でも幾らかの示唆を持つものだろう。
〈参考資料: 『私の犬の家族』(1951年4月、『婦人之友』掲載)他〉
(2026/06/19)