カオスの弁当

中山研究所blog

乾電池と充電池

 乾電池は、子供達を家庭という共同体から解放した。携帯ラジオや懐中電灯を手に子供達がサバイバルに繰り出す事が出来るようになったのは、果たして安価で扱いやすく、直ぐに使えて保存も利く動力源を手に入れられたからに他ならない。

 他方、充電池は、大量の電気を必要とする高性能の小型端末機器類を長時間稼働させるのに優れた性能を有しているが、安価で扱いやすくその電力に見合った携帯可能な充電装置を未だ持たない動力源である。

 乾電池は恐らく、二十世紀後葉の日本社会にいみじき変化を齎した製品の一つだろう。カメラにカイロ、飲料の容器に並んで「使い捨て」製品の代名詞でもある乾電池が自動車並みに人間の行動範囲を拡大させたのは、電池それ自体が発電するからに他ならない。マッチやライターに匹敵する、或いはそれ以上の製品が齎した影響は、裸火の使用から続く共同体的管理から個々人を解き放ったものである。

 特にその影響を大きく受けたのが、子供だったと筆者には考えられる。玩具の動力源に電池が使われるようになって、遊びの幅は非常に大きくなった。電池自体は玩具それ自体と比べたら廉価である。そして、何より電池は玩具以外にも用いる事が出来る貴重な電源である。他方、充電池はというと、それが齎すのは「プリペイド」した電力だ。何度でも充電出来使用出来るからといって、それ自体発電する訳でもないバッテリーは、乾電池と全く異なる電源である。

 蓋し、冷戦期に於いて普及した「使い捨て電池」は、全く時代に見合った動力源であったといえるだろう。片や、その後普及した電池も又、世相を反映していると言えよう。ただ、電源の頼もしい事はこの上ないが、その消費の傾向については甚だ省みる所少なくないと思われる次第である。

 

(2020/5/31)