カオスの弁当

中山研究所blog

鯨とひとりもの

 浜に一頭の鯨が座礁した。瀕死の鯨を沖に戻す謂れもなく、又食うでもなしに、浜辺の近所の住人は、普段、釣りばかりしているひとりものに、鯨に止めを刺して来るようけしかけた。

 渋々、モリを持った男は、自分がモリで突き刺されなかっただけマシだと思い、巨大な腹に近付くと、鯨は大きく咳込んで、こう言った。

「よう、お前は何かやったのか? さもなくば、この様な仕事をする筈もなかろうから」

 男は答えた。

「お前が沖で死んでおれば、俺も悪人にならずに済んだものさ」

 鯨はまだ残っていた潮でブクブクと鼻提灯を飛ばした。男は未だ息のあるうちに、鯨に掛け合った。

「のう、お前さん。お前さんは後、どれ位で死ぬんだろうか?」

「そんなもの、自分じゃ分からねえだろう」

「のう、のう。お前さんは俺を悪人に仕立て上げたいのか? 俺は別段、何もしちゃいないさ。でも、連中はそれが気に入らないのさ」

「手柄一つ、立てさえようというのが分からねえ歳でもあるまい」

「瀕死のお前を、このモリで突き刺した所で何になる」

 

 その時、わっと鯨の身体が戦慄いて、男は思わず構えたモリを、その土手っ腹に突き刺した。

 モリは抜けず、そのまま途中で折れてしまい、鯨はバクバクとヒゲだらけの口を何度か、閉めたり開けたりしたまま、もがいてそれから砂塗れになって動かなくなった。

 

 家に戻った男は、翌朝、突き立てたモリを取りに浜に戻った。鯨は誰の手にも触れられる事もないまま、ドップリと餅みたいに膨れ上がった腹を波が洗われていた。

 その臭い肉の小山を男がよじ登っていると、踏ん付けたところからブルブル震えた。

 

 足を取られた男は転げ落ちて、砂塗れになった。

 又、登ろうとすると今度は掴んだ場所からブルブルと震えた。思わず話してしまうと、今度は背中中、砂塗れになった。

 ゴシゴシ、袖で顔をこすりながら塩っぱい泥を吐き捨てて、男は怒鳴った。

 

「テメエはとんでもない性悪野郎だ!!」

 

 そうして、腹立ち紛れに、勢い良く爪先を土手っ腹を蹴飛ばした所、足はそのまま鯨のゴム毬みたいに膨らんだ皮を打ち破り、中から男の胴よりぶっといハラワタがゾンロゾンロと飛び出して来た。

 そうして男をあっという間になぎ払って、高々とビーチボールみたいに空高く打ち上げると、そのままバチバチとブチ殺してしまった。

 男の死骸はそのまま沖の方に吹っ飛んでしまって見えなくなってしまったが、鯨の死骸はそのまま浜に残っていた。

 しかしそれも台風に流されて、秋の終わりにはすっかりなくなってしまった。

 

(2020/08/10)