カオスの弁当

中山研究所blog

山と如是閑(1)

 長谷川如是閑(1875-1969)に、『山に行け』というエッセイ(1919年)がある。

 「登山の期節が来た。」という緒言で始まる短い文章は、前年、大阪朝日新聞社(以下、大朝)を退社してから彼が、同じく大朝を退社した丸山幹治、大山郁夫らと共に創刊した雑誌『我等』の7月1日号の巻頭言として掲載された。

 人間は、重たい空気の圧力の底に悩んでいる。

 (中略)

 それは誰れの故でもない。人間の棲む平面を填めている溝泥のように濃厚な空気が、余りに強い圧力で、人間の肉と心とを抑えつけているからである。

 それも、誰の故でもない。そこには、余りに人間が多過ぎる。

――再録『真実はかく佯る』(1914)から引用

 1919年といえば、大正8年である。人間の暮らす場所を「気圏の底」というような表現で示す書きぶりは、宮沢賢治を彷彿とさせるが、それは偶然であっても、同じモチーフに依拠する点のあった両者の創作活動が至った類似という事が出来るだろう。

 環境問題というのは、常に産業や労働問題と軌を一にしている。大朝を辞めてから、長谷川は

新聞記者は、主観的生活に於ては、同時に政治家であり、思索家であり、改革家であり、学者であり、文士であり得るが、客観的生活に於ては、たゞプロレタリアに毛の生えたものであり得るのみである。

――『予が現代新聞記者生活に贈らんとする標語』、『新聞総覧』(1919)より

と壮語するなど、愈々そのリベラルな“キャラ”を売りにして、文筆活動に励んでいく。

 そんな彼が本格的に登山を始めたのは、大朝に在籍していた頃である。

 1910年にロンドンで開催された日英博覧会へ特派員として派遣された長谷川は、ロンドンを始めとする各地の現地レポートが好評を博し、それによって人気新聞記者としての地位を盤石なものとした。大朝入社以前から、論説記事以外にも小説やエッセイの執筆経験があり、その手腕を買われて同社に迎えられた長谷川だったが、同社に入社して最初に持った連載はルポ記事・紀行文であった。最初、1908年5月に『金沢行き』を連載し、その後、広島に出張して『広島みやげ』を同11月に連載した。

 こうした金のかかる企画は、果たして急成長を遂げた大衆紙ならではの企画と言えようが、この記事の評価が社内で長谷川の地位を確固としていったと考えられる。

 

 1909年3月から同紙に連載された小説『?』(後『額の男』と改題)は、恐らく出来レースであったのだろうが、5月の連載終了後、まもなく彼の最初の著書として政教社から出版された。政教社は、大朝入社前に彼が携わっていた雑誌の発行元である。此の事からも、彼に対する業界内の評価が高かったことが伺える。

 そして、満を持す形で社の代表としてユーラシア大陸に送り込まれた長谷川は、期待に応える成果を上げた。そんな長旅から帰ってきた彼を待ち受けていた次なる企画が、折からブームの到来していた登山旅行だったのである。

 1911年7月、信州より飛騨白河村を経由して北陸に抜ける登山旅行を経験した彼は、『山又山』を連載した。元より健康の為に運動や遠足を心がけていた長谷川は、此の企画以降、登山を愛好することになる。

 所で、当時の登山ブームは、如是閑と同時期、朝日新聞に連載を持っていた夏目漱石の『草枕』(1906)の背景にもなっていると考えられる。

 山路を登りながら、こう考えた。
 に働けばが立つ。させば流される。意地をせば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 

 中央大学から刊行された『長谷川如是閑 人・時代・思想と著作目録』では、『山へ行け』は、「如是閑が社会批評家としての立場を宣言したものとみなすことができる」と評されている(44頁)。短い文章であるから出来れば全文を此処に掲載したいところだが、生憎、去年丁度著作権が50年から70年に延長された為に、それは適わない(余談だが、去年2019年は偶然にも長谷川の50回忌でもあった)。

 

 文の大意はこうである。

 人間が悩むのは気圏の底に暮らしているからだが、それだけではなく、その空気が余りに汚れている所為だ。それは人間が多い所為である。

 人間はその汚い空気を吸って更に汚し、それを吸った人間の心はどんどん汚れていくばかりである。

 だからと言って、誰の所為だと争い始めたら、万人の万人に対する闘争が始まってしまう。そして、その殺し合いの連鎖は果てしなく続く。

 それは『すべての人が、余りにも密集して、余りにも沢山の隣の人を持っている故だからである。こういう世界で、ヨリ多く生き得る人は、ヨリ多く残忍な人である』と、如是閑は説く。

 で一番残忍な人は、時々獲物を掴んだ野獣の歓びの声のような勝鬨を揚げる。耳を掩わなければ、眼を蔽わなければ、生きて行かれないと、人々は云う。

 そういう人達に私は告げる。

 『山へ行け!』

 海抜一万尺の山の上では、エデンの園の泉のような、透き通った清い空気を私は吸える。私の肉と心とを包むその空気に、些しの圧力もない。些しの色もない。それを吸った私の肺臓には、甘い〳〵蜜の滴りのような、肉と心との栄養が残る。私は蘇る。

 だが、皮肉屋にしてはにかみ屋でもある如是閑は、最後に一文を加えることを忘れない。

  が、それは山の上の話だ。

(続く)

 

(2020/8/10)