カオスの弁当

中山研究所blog

「園」の思い出

 動物園とか遊園地とか、兎に角、「園」という名の付く場所が苦手だった。今でも、背の高い門扉と敷地をグルリと取り囲む大きな柵を見ると、忌々しい気分になって自然と顔も歪んで来る。

「言うこと聞かないと、サーカスの虎の餌にしてやる」

と言うのが、母親の口癖だった所為もある。サーカスと動物園は、幼い自分からしてみれば何方も忌々しい檻のある施設でしかなかった。ペットショップを見るのも嫌で、公園の池にある鳥小屋や、白鳥の横で甲羅干しするアカミミガメを見るのも何だか気味が悪かった。

 

 だが、何より自分の具合に悪かったのは、そうした園内には逃げ場がないーーという事実であった。決まった出入り口からでないと行き来が出来ない、それが如何にも不安を誘って仕方がなかった。

 

 親や教師に連れられて動物園の檻の中にいる動物を見るのは、丸で

「お前も言う事を聞かなけりゃ、こうしてやるのだ」

と脅されている気がして嫌だった。そうでなくとも、敷地を囲繞する柵と巨大な門の存在が、自分らをいつでも、目前の見せ物になっている禽獣と同じようにしてやれるのだと言われているかのようで、終始落ち着かなかった。駐車場にいる束の間、息がつけた。バスの中は退屈だった。

 

 物語ーーフィクションーーというのが持つ、本来的な恐ろしさ、脅威というものについて考えるうちに、そういえばそんな事を思っていた時期もあったな、と思い出した。

 元来、お話というのは、「園」と名の付く施設と同じく、一度入場して仕舞えば、一巡りする迄、逃げ場のないものである。退屈でも、お腹いっぱいでも、どんなに素晴らしい花畑でも、お化け屋敷でも、一旦、入り口から進入して仕舞えば、出口を潜る迄は引き返す事が出来ない。目を瞑る事は出来る。「これは作り事だ」と心の中で念じて白ける事は出来る。だが、一方通行のルールは守らなければならない。騒いでもいけない。況してや「これは作り物だ」云々、扱き下ろしてもいけない。ただ見る事が強いられる。それが苦痛なら、その門を潜ってはいけないし、敷地には立ち入らない選択をするべきである。

 また、ゆっくり歩く事や一時停止する事は許されても、ずっと止まる事も許されていない。そこは自分の居場所ではなく、自分の恣は許されていない。

 

 俗に「オタク」というのは、こんなルールを守る事が忍びない鑑賞者の内、開き直って不作法を尽くす者である、というのがものの序でに思い出した、大昔の自分の中の定義だった。

 逃げずに暗がりの向こうに寝そべってじっとしている得体の知れない結末に向かって進んでいく事の出来ない人間が、真っ暗がりの中で掟破りの懐中電灯とかを点灯して、ガラス張りの向こうに潜んでいる者を明るい光の中で見ようとしたり、今来た道を逆走したりする。そんな「意気地なし」を、自分は心底、毛嫌いしていたが、その度胸のなさ、怖がりなのを悪く思うのではなく、自身の臆病さを認めず、今し方見て来たものの「化けの皮」を剥がしてやろうと息巻いたり、そしてそれを「虚仮威しだった」と嘲って、己の器の小ささから結末なり何なりを受け止めきれずに、物語から逃げ出して来た事を、作り物の出来の所為にしようと頑張る様子を見るにつけ聞くにつけ、うんざりしていたものだった。

 ただ、これはもう随分前の事である。だから、今でもそんな事を思っているかというと、状況もすっかり変わっているので、そんな事は丸でない。偶々、そういう人達がいた場所に出会してしまったので、逃げ出して来たーー末が今の自身の位置である。

 

 「園」という場所は、見たくないものをも見る場所である。怖いもの、醜いもの、側においておく事が到底出来ないものを見に行く場所でもある。だから、そんな施設の外へ、園内のものを持ち出したり、或いは園内の様子をやたら滅多に外で吹聴するのは厭わしく忌まわしい事のように感じられていた。物語はそれら忌まわしく厭わしい物事を封印する場所でもある。

 

 今ではもう、そんなに一々目鯨を立てる事は略々ない。だが、全くない、完全になくなったとは言い切れない。それは完結した柵の向こう側に閉じ込めてあるものだから、安心なのであって、わざわざ現実の、白昼白日の下に曝して確かめようという気持ちの更に起きないものだとは今でも感じられる。

 

 そんな出入り不自由な「園」よりも、今は果てしなく生活の隅々まで張り巡らされたサーカスの幕の内が居心地良くて、大勢の人気を集めているであろう事は知っている。実際、自分も普段、その陣幕を見て見ぬフリをし続けている。それが出来ているという事は、少なからず、それらに親しめているという事でもある。それを恥じる気持ちは余りない。誇れる事でもないけれども。

 だが、つくづくそうなってしまっているのを思うにつけて、昔はあれ程毛嫌いしていた、「園」と名の付く施設の雰囲気が懐かしく思われて来てならない。

 

 最近は、映画館に行くようになったが、昔と比べたらシアターの中もロビーも建物内全体が随分、明るくなったと感じられる。それはそれで大変結構な事だと感じる一方で、「ここも、か」と思わず溜息をついてしまう事がある。久しく、真っ暗闇の中に沈み込む感覚というのはないもので、それ自体は実に有難い。

 だが、そんな暇がちっともない、というのは不安の因にもなっている。一体、それはこの頭上の巨大なサーカスのテントの存在に思いを来たせばの事である。

「一体、自分はいつから此処にいて、何処から来たんであったっけかな…?」

とか、唐突に思い抱く事も屡々あれば、愈々間断なき意識の流れというものに対して疑いが生じる。

 真っ暗闇は、サーカスの内にあっても自分を一時的に、その外に放り出す、「古典的(幼稚な)」手段である。

 物語は、そういう時に便利な道具である。

 よく出来た物語なら、それを鑑賞している間は、振り返ってみるとボッカリ、記憶に穴が空いていたりする。その記憶には、「物語を見た」という情報の代わりに、物語それ自体が嵌まり込んでいたりする。

 それで却って、自分は昔、本を読んだりした後は安心したりしていた。

 それは自分が「園」の外に帰って来た証であると同時に、自分の普段いる場所を確認する証拠でもあったからだ。

 その安心を得る為に物語を摂取していた、と言っても過言ではない、そんな時期も大昔にはあったにはあった。

 意識していたかは怪しいものだが、今振り返ってみると、その様に語り得る。

 だが、この所はそれが如何にも上手く出来なくなっていた。動物園も遊園地も映画館もすっかり怖い場所ではなくなったのは良かった。だが、「園」を取り囲む柵や、自分を閉じ込める門や鍵がなくなった訳でもないのに、ただ恐怖だけが薄れていったのは、自分がすっかりノイローゼになってしまった所為だったのであろう。

 

 不図した切っ掛けで思い出した記憶は、そんな不感症になっていた怖さに対する反応を誘発した。

 

 蓋し、物語作家は「罠」を仕掛ける者で、それは人間が人間に対して設えた罠である。「園」もそんな罠の一つであり、緩々と入り込んできた客を操作一つで閉じ込めてしまう事だって、施設管理者は出来てしまう訳だ。

 花壇の不気味さや、額の中に収まっている描かれているものの薄気味の悪さが、見ている人間達がそもそも、その場の中に閉じ込められている事を忘れさせようとして来る、その見せ物の放つメッセージや小細工に対しての鑑賞者の意図しない反応であるとするならば、それらを仕掛ける者達は、必ず何処かに彼等を出口へ誘導する標を何処かに設ける道徳的な義務があるーーとか思われる。

 無論、そんな事しなくても構わない、賢明な「大人」許りを客として相手して遇せれば越した事はないのかもしれない。だが、人間常にそんな「迷子」にならない保証なんてのはない訳だ。不意の事が起きないとも限らない。だから何処かで必ず、合図が必要で、例えば、閉園時間を告げる園内放送の音楽とか、そういう配慮を講じるのは真っ当な仕事だと言える。

 ただ、それを却って、「囲い込み」の合図に利用しようと思えば出来てしまうのが、また、サイレンの怖い所である。実際、園の敷地の外に居並ぶ防災無線や街頭時報の数々は、サーカスの天蓋を支える無数の支柱の一々でもある訳だ。

 

 最近の物語は、端から「園」的な閉鎖性を無くして、野天興行を旨として繰り広げられるものも少なくない。建前としてはそれは、参加者各位の自律性に依拠している。だが、所詮、建前は建前に過ぎない。

 臆病者の扱き下ろし大会は外側から「園」の門柵を揺さぶって、倒壊させたのである、という風に自分は野天会場を見ていると、つい意地悪く思ってしまう。

 それでーーじゃあ、「園」は、物語は怖いものでなくなったかというと全くそうはならず、サイレンの音は遂に見境なく四囲に木霊するようになってしまった。「帰れ」という合図だった音声も、今やその方向性を失ってしまった。

 

 「帰る場所」も、そこを起点として何処かに発つ人の現在地ーーという意味に解される始末だ。だがそれは、「帰る場所」が元の意味に復しただけとも言える。

 何故なら、「帰る場所」は、そこから何処かへ出掛け、その何処から引き返した後に向かう場所だからである。

 ボッカリ空いた記憶の伽藍堂は、今来た道を思い出した時に完成する横穴で、決してトンネルなんかではなく、何処かで引き返すタイミングが必ずあって、それを用意しておかなければ、どれだけ良く囲ってあったとしても、出口のない「園」は人間を虜にする悪どい罠でしかない、と判じられる。「園」の出口は常に入り口のもう一つの顔に過ぎない。

 

 他方、野天会場には罠も出入り口もない。餌だけがある。すると、悪意のある罠がない分、平和かというとそうでもなく、寧ろそれは随分と恐ろしい状況が白日の下にあるので、引きで見たり、うっかり足を踏み込んでしまった事に気が付くと、大騒ぎしたくなる程に恐ろしい光景を呈していたりする。何よりか恐ろしいのは、その光景は際限がない事である。

 自分の目や耳にそれらが触れる限り、その「敷地」は、自分の足元にまで延びて来る。そうでなくても突然、伸び掴み掛かって来る可能性さえあるのだ。

 だからそういう時には、黙ってゆっくりとそれとなくそこから距離を置いて、只管逃げる事が略唯一の手立てとして残されている。

 

 そして、その逃げ場として元来機能するのが、「園」であり、物語であったと、「帰る場所」を発見する場所であったと思い至るに当たって、今迄単に恐ろしく、不愉快であった場所が、随分と頼もしく有難いものに感じられる様になった。だが、矢張り、そこは恐ろしい施設であって、脅し文句で用いられるのが相応しい……。

 

 と、ここまで考えて、自分は自分でその「園」を造ろうかと考えた時に、どんな風なのがいいかという事を考えてみた。

 そして、そこで考えた場所は、詰まる所、自分自身をも閉じ込める檻であり、且つ、閉じ込められた人間が、

「さっさと此処から出してくれ」

と最後の方に思うような場所であれば結構だと思われるようになった。

「こんな場所よりか、元いた場所に帰った方がまだマシだ」

と思い来す位の目に合って、次の逃げ場迄辿り着く程度の気休めの場になれば、十分である。それが自分の求める「園」でもあるからだ。

 

 だが、そんな「園」も、たった今の所は、自分には必要がない。というのは、そんな作り物よりか、普段眺めている景物が十分に見事だと感じられるからだ。

 然しながら、これらの景色もいつまで悠長に見ていられる事やら分からないのが現実問題としてある。今自分が目にしているのも、恐らくは「園」である。いつサイレンが鳴るかは分からないものだ。

 物語ーーフィクションーーが本領を発揮するのは、いざという、その時である。倒壊する柵やら天蓋の下敷きになる事程、阿呆らしい事もない事はない。

 だから、ポケットに収まる大きさの地獄巡りでも、竜宮城でもいいから、何か物語を拵えて置くのは悪くない方策だろう。その際、又、それら普段目にする景物の「模倣」がベターであるとも思われる。

 

 なまじ景色は喪失してからがなお、思い出として美しい。フィクションは端からこの世にない、だから、物語は摂取して忘れて、片っ端から忘れれば不意に思い出す機会も多ければ多い程に、思い出したその矢先、忌々しかった「園」の記憶が知らぬ間に、素晴らしい財産になっている事に気付けもするだろう。

 

 無数に見た夢の中でただ一つに固執したが故に夢現の間で「迷子」になったならば、よろしく蝶であれば「花から花へ」、人であれば「園から園へ」遷移すれば良い。夢か現か、に拘る必要がなければ、それだけで済むーーという話である。

 

(2021/08/25)

 

エレクトーンの音

 自分の中で90年代の音といえば、ずっと切れ目なく放送されるBGMのエレクトーンの音だ。

 夜、少し眠ろうと横になり目を閉じると、何処からともなく、その日の気分次第で、しかしそんな気分とは関係なく、すぐそれと分かるが、誰の手とは感じさせない曲が始まる。
 曲の出だしというのがそもそも何処からなのか、分からないのが果たしてエレクトーンのBGMの印象である。誰かが建物の何処かで弾いている訳でもなく、MDかCDに録音されたものが延々放送され続けているのであるが、その一曲一曲が実際非常に長いーーの割に、いつまで聞いていても飽きない。時間を忘却させる音楽の音色が自分の、エレクトーンの印象である。

 

 ずっと屋内にいると、段々そのBGMの有り難みが分かって来た。否、むしろそれに対する渇望が日増しに大きくなっていたりもする。

 一体何処の誰がマラソンを続けていたのか分からない音楽だった。それは或る意味で恐ろしく、また気味の悪い現象だった。終始明るい室内が、或いは清々しい青空と五月の心地よい風が不意に恐ろしく、何かを隠しているかのように感じて不信感を惹起するように、エレクトーンの軽いキーボードの調べは、その「物を忘れさせる効果」をして、普段なら気付きもしない“背景”について想起させる契機でもあった。

 

 ぼーっとしている間に無意識に食べ終えて仕舞えば良いが、溶けたアイスクリームが指を伝ってズボンの上に染みを作った後にはもう遅い。

 パーンか、或いはハーメルンの笛吹男か、兎も角、実際に人間を陶酔させる音楽というのは、何か物凄いものであるかといえばそうでもないーーと考えて仕舞うのは自分の経験に照らしての事であるが、この手の音楽はこの頃十年位の間に、すっかり耳にしなくなってしまった。

 今でも聴こうと思えば、例えば昼休みの時間に、午前の取引の模様を伝えるテレビ番組や、明け方の地方局のチャンネルにチューニングすれば、聴けないことはない。だが、聴こうとして聴くではなくて、それは向こうから勝手に此方まで無方向に流れて来るものを自分が掬い取るのである。

 気が付いた時には垂れていた涎の様に、それは我にかえれば恥ずかしくてきまりの悪いものである。だが、そうしたうたた寝の瞬間というのが、この頃の自分には一入懐かしく思われる。そんな歳でも未だない筈なのだが。

 

2021/08/02

21:15

 生き物の生きた証は何じゃらホイ、という話を友人と昼間から延々三時間くらい電話した。

 結局、化石になる様な組織だろうなという話になって、成る程なあーーと思った。

 

 腕の重さや足の重さ、というのを意識することが間々ある。それは普段、如何しても生活の中で運動不足気味になって衰えやすいものだから、日々の簡単な動作であっても一寸の事で感じてしまうという事であって、褒められた話ではない。

 今一つには、時折覆い被さって来る感覚の験しに覚えがあるからだが、それに骨が出来た始めたのは、ほんの四、五日前の事だ。

 

 それまでは何だか、取り敢えず、肌で感じる刺激に精々止まるものであった。文字通り、掴みどころのないガスの印象だった。

 考え事やら悩み事やら多い時の疎ましい感覚が澱り重なって出来た、それは幻覚なのだったが、分かっていても何やら疲れている時にやおら正面からだらしなく凭れかかって来る感覚には、その無気力さ故に、妙に共感して同情してしまった。

 身の丈は少なくとも150センチくらいは有るのだろうか、時々もまちまちであるが、重さの感覚は全体で40kgから50kgの間で、その重さから身長も推し量られた。

 

 疲れていると、自分であったって兎に角それ位、何かに身を凭れさせたくなる時はある。全身が強張って、しかし如何にもその格好を崩せない怠さと忌まわしさに、何もかもかなぐり捨てて逃げ出してしまいたいとは、文章として頭には浮かぶけれども、身体は、とうの昔にそんな衝動に付き合う気持ちをなくしている。

 疲れた。兎に角休みたい。しかしその口実が自分の中に見出せない。

 寝ると決めても、風呂に入るまでの時間が掛かるのは、そんな事より他にする事があるんじゃないかとか、翌朝の未だ明けやらぬ内から起きて始めなきゃいけない事共が脳裏に次々浮かぶからであった。

 どうせこの身は一つしかないのに、欲張りなこったーーと自分自身に呆れて嘲笑するのも自分なら、ムキになって何でもかんでも解決しようとするのも自分であった。

 

 そういう二進も三進もいかない状態の心理的産物ーーと呼ぶのもおかしいが、八方塞がりの状態の中で凭れ掛かって来たのが件の腕であった。

 だらしなく、頸の辺りまでぐるりと回して、ぺターンとエプロンか前掛けみたいに突然ぶら下がって来る。そうかと思えば、肩の上からダランと、頭の上にのし掛かって来る。

 犬や猫も飼った事がないので分からないが、その大きさや重さーーといっても実体のないものだから、重さも大きさもないのだがーーは中々、泡食った精神を落ち着かせる作用があるように感じられる。

 

 別に払おうと思えば退かせられる程度の圧なので、それが来て居座る内は取り敢えず、もうじっとその場で動かない事に決めた。そうして、自然飽きてそれが離れる迄の間は、バスの中だろうが駅で立ってる間だろうが、目を閉じたりしてボーっとする事にした。

 よく考えたら、それもそれで危ないのかも知れない。然し、それは自覚がなくとも酷く疲れていると思われるタイミングでやって来るのだった。数分でも暇があるなら構ってやる事にした。結局、それが実際的に自分の為にもなった。

 

 そんな暇な時でもなければしがみ付いたりして来やしない。

 合図も何もないのだが、ただ取り敢えずそれは来て、自分を椅子の代わりにして使う。そして、そういうので、一かな構わないと思うので放置しておく。

 そうして幾らかの年月が過ぎ、数日前から何かその腕の感触に変化があった。重さに芯が出来始めた。

 捉えどころのなかった感覚の靄の内に濃度の更に高まった所が感じられ、軈てそれが肩の上にグーっと突き出されて、天秤棒みたいにボサッと置かれた。仕事の終わった後、椅子に座ってボーッとしている最中だった。

 今は腕だけだからいいが、これが徐々に脚や胴体の分まで来たら中々面倒だぞ、と思ったのは正直な感想である。というのも、それが自分の疲労と機を一にしていると考えられた為である。

 

 骨の感覚の去った後、考えた事には次の様なのがあった。

 最終的にそれが全身丸ごと自分に圧し掛かって来た時の事を思うと、その状況は中々に悲惨であった。何やら、屹度その時には自分は自力で動く事も困難で、疲労が本格的に全身を麻痺させている様な、そんな容態が想起された。出来たらーー否、それは極力回避したい可能性の事態であった。

 そんな状況にあってはもう自分はそれを「起きるのに邪魔だから」と追い払うだけの力もない。

 そんな想像が浮かんで来ると、それまで一寸も怖いと感じなかったそれが急に実は恐ろしい、死神か何かの様にも思えて来た。

 

 でも、そこまで考えて、然しながら、今までの奴の行動を思い返すと、そこまで脅威と見做す程のものでもないように思われもするのであった。

 奴はただ、自分に寄り掛かって来るだけのものなのである。そして、これまでもそのタイミングは、自分の状態に関係なく、本当に時折、「打つかって来る」だけであった。

 なら、自分の方で用心する事は、精々、その時に吃驚して倒れたり、ホームや階段から転げ落ちないようにする事、その為の体力を維持すれば良いーーそういう結論に落ち着いた。

 

 

 幻覚なら幻覚で、それはそれでわざわざ無くそうとか自分は思わない。ただ、それが如何にも恐ろしい、煩わしいものでなければ、まあそういうものだと受け入れて放っておくのも手ではあろう。無理してそれを失くそうとしてしまう事が、却って自分には、今でさえ十分そそっかしい自分の余裕を失くす事にさえなるのではないかと思われたりする。

 何かトンチキな故事付けをする必要もなく、ただ一身上の事実と見做せば済むもので、他人と融通しようとさえ思わなければ、それは雲や花を見た時の感想と変わらない。

 

 そんな事を一頻り思う間に、そうは言ってもこの話題をーー骨の話をーー誰かに振ってみようという気持ちになって、友人に電話して話してみた。その流れで冒頭のコンセンサスにも達した。

 そして、最後の方で友人は、気になっていたらしく、髪の事を訊ねてきた。曰く、髪の感触はなかったのか、と。確かに、骨よりも髪の方が有り触れた話の種である。

 

 その時は話さなかったが、実を言えば、最初にそれが凭れかかって来た時、自分の肩口に押し当てられたのは、火照って汗ばんだ額と髪だった。今みたいに腕を広げて来るでもなく、棒立ちになって、そのまま近づいて来て、何の前触れもなしに、ただ、ボスっと頭を打つけて来た。

 ただそれだけで、何も言わず、泣きそうな子供がよくするように俯いていた。初めは自立していたが、段々に重心が前のめりになって来て、此方が少し押すようにしたら動きが止まった。

 

 その時はその場で突っ立っている事しか出来なかったが、以来、それがきっかけで度々打つかって来るものだから、強いて自分はそれ以上、深掘りする様な気持ちも起こらないし、基本放置しているのだった。

 骨が出来たとしても、その事情に変化はない。

 

 多分、それで良いのだろうーーと思うのは、全体何やら懐かしい感じがするにも拘らず、それに自分が全く心当たりがない為である。

 

 

(2021/07/24)

 

 

「壺中の天」と「怪しい箱」

 

 夏なので、且つ、如何にも家の外に出るのが躊躇われる時勢なので仕方なしに自室に篭って絵を描くばかり、退屈なので延々、怪談の機械音声朗読を流している。それで、昔バカらしくて読みもしなかったが、名前だけは知っていたようなネットの怪談を聴くうちに、最近読んだ本の内容を思い出した。

 浮世絵に関する本を読んでて、久々に「千畳敷」なんていう語に出会した。曰く、浮世絵、特に風景画とかは、江戸時代「壺中の天」、仙郷に擬えられていたとか云々。

 

 京極夏彦夢枕獏も、荒俣宏も小説は読んだことがないので、この手の怪談に登場する曰く付きの小道具については、詳らかに知る所は丸でない。自分の関心の及ぶ所は、大抵ああいうジメッとした雰囲気を帯びた領域ではなくて、ピーカンでカンカン照りの炎天下の景色だったりする。

 だが、ヤレ「冥界の門」だの「極小サイズの地獄」だの、そういう風に解説されるおばけ話に登場する、ある意味での「魔法の道具」については、それが元を糺せば、矢張り、仙人の提げた瓢箪やそんなものであろうーーという事は自然、抱いてしまうものであった。

 

 とはいえ、自分は壺やら瓢箪やら、そうした器にさして食指は動かなくて、小道具よりも大道具の方に関心があったりする。

 例えば、鶴女房のバリエーションに登場する、「四季の収められた箪笥」とか、そういう大型の家具である。鍵穴とか、戸の隙間とか、瓢箪の口であるとか、そういう何か狭くて、俄には体をそこへ持っていく事が難しそうな「間」よりも、実際に上手くすれば、そこから自分を異界へと滑り込ませる事が出来そうな、そんな道具が好きであったりする。

 

 屏風であるとか、襖であるとか、そこに描かれた何かが夜中抜け出して来るような話は果たして自分の趣味に合致する。又その反対に、人が絵の中に入り込んでしまう話、というのも好みである。

 先に思い出した本の内容にしたって、浮世絵と比較されていた「壺中の天」は、具体的には当時既に縁日の見世物などであった覗きカラクリがモチーフとしてあった訳で、それは今風にいえばーーそれでも、稍、古い例えではあろうがーーアミューズメントパークの据え置き型のゲーム機や、家庭用ゲーム機、携帯可能なゲーム機に相当するものであろう。勿論、単純な比較は無理なのだけれども、ごく最近なら、今こうして操作している端末それ自体が「カラクリ」であり、又「壺中の天」と言えるだろう。

 

 別にだからと言って自分は仙人でもないし、もっと言えば、仙郷を覗いている感じもしない。

 大体、自分はそういう「覗く」楽しみというのを余り感じられない質である。というにも、理由は二つあって、しかしそれは結局同じ理由から説明可能である。

 双眼鏡であれスマホであれ、或いは聴覚的にイヤホンやヘッドホンであれ、それでもって何かを見たり聞いたりしている間に、自分の視聴野は大いに狭められる。それが自分にしてみれば、大いに不安を掻き立てられるのである。為に、目の前の「千畳敷」に没入は自ずと妨げられもするのである。

 又、自分は、だだっ広い景色が好きで、だから「千畳敷」も見たいとは思うのであるが、アーケード街の様に、奥行きがずっと遠くまで感じられる分、両脇が狭まった景色というのは、視覚として得られる「千畳敷」と矛盾する。如何にも、装置を経て得られる景色というのは、広く何処までも見えるようで、実は全然自由ならない。

 そもそも、既に記した通りであるが、自分には異界へポーンとワープしたい願望があって、レンズの彼方側に魂を飛ばして、現を抜かしたいという願望を叶えてくれる装置には向かない人間なのかも知れない。

 

 アーケード街にしたって、それは「胎内潜り」みたいに、自分には、それ自体が望遠鏡や遠眼鏡のような巨大な装置みたいに感じられる。そこを自分は加速器を通過する素粒子の様に移動する事によって、何かの次元の「幕」を突破出来るんじゃないか、という期待を抱かないと言えば嘘になる。

 狭い景色は勢いをつけて通り過ぎる「近道」であって、そこは自ずと「駆け足」で通り過ぎる、そんな場所である。

 そんな場所に延々、縛り付けられるとしたら、果たしてそれはとても苦痛に違いない。

 

 だが、そんな「極小サイズの地獄」や「冥界の門」は存外身近にもう既にあるんじゃないかしら、そして、そんな近道や抜け穴を通って、何か良からぬものは常時、自分の耳目を通過しているのじゃないかしらーーと想像してみたところで、ゾッとしない。

 それは、こんな風にして部屋に篭りながら想像するにはあんまりに馬鹿らしい。わざわざ必要もない事だと思われた。

 

 

(2021/07/23)

 

玩具で遊ぶ

 子供時分に竹とんぼの作り方を教わらなかったのは、今にして思えば失敗だった。

 とはいえ、今からでも独学でも作ろうと思えば不可能ではない筈だ。

 

 習わなかった理由に身内にそういう竹細工をする人間がいなかった所為がある。

 当時から今まで、竹とんぼとかは「わざわざ」作り方を教わるーーわざとらしい玩具で、それは何か自分には似つかわしくない伝統という風に思われていた。

 

 それに比べて、そろそろ七夕か、と夏至を過ぎた辺りから思うにつけて、自分が精々教わったのは、七夕飾りくらいだった気がして来た。

 そうは言っても、何かその土地の、家の仕来りがあって、それを代々継いで来たような代物ではなく、多分、どれも何処からか誰かが物の本や雑誌で見たり読んだりして作り方を覚えたものである。

 だから完成した飾りは、結局、スーパーとかで売っている、鍋の具材一式がラッピングされたトレーのようなものである。突き詰めれば、何処までも、自分たちの文化とか伝統というものは、それくらい「出来合い」の代物である。

 

 しかし「だから何?」というのが、やっぱり、何年も短冊やら飾りを作る間に抱いた感想だった。

 

 竹とんぼの作り方を教わらなかった事に対する後悔は二つ、それを(わざとらしくとも)教えようとしていた近所の老人から、自分が形ばかりでも教われば、それが何やかやで「本物」になったという事に気付いた所為と、今一つには、自分がそれを若し習っていたら、何かの機会に誰かに教える事も出来たのだという事に気付いた所為である。

 

 作って貰ったもので遊ぶだけでも十分構わないのだが、どうせそうして遊ぶ内に、玩具は失くすものであるし、壊れるものだ。又、何より手を加えたくなるものであるし、他人にも遣りたくなるようなものである。

 

 今更、切り出しナイフを持っていようが、蝋燭やバーナーを使っても心配されるような歳でもない。一つ手習として、竹細工の玩具の作り方でも覚えてみても、バチは当たらないだろう。

 でも竹とんぼが自分に向かないと思えば、紙飛行機や凧とかでもいいかもしれない。それも難しいかも知れないが、ともかく空に飛ばす玩具が良い。

 

 自分が下手でも、取り敢えず、作り方や飛ばし方を型通り教える事が出来たら、後は教えた相手が自分で色々、よしなにしてくれるだろう

 そんな事を不図思ったりした。

 

2021/06/24

観念小説作家としての長谷川如是閑

 小説家としての長谷川如是閑のキャリアは存外、その位置付けははっきりしている。だが、なまじ作家としての評価よりも、新聞記者、ジャーナリストとしての評価が抜群に高いから、わざわざ省みられる事は多くはない。

 明治29(1896)年といえば、日清戦争終結の翌年、この年に長谷川は処女作となる小説『ふたすじ道』を発表、小説家にして評論家の後藤宙外の主宰する雑誌『新著月刊』に掲載された。

 実の所、これが長谷川“如是閑”萬次郎の物書きとしては最初の「仕事」である。彼の文章が活字になったのはそれよりも更に遡る事、明治21(1888)年の事で、「長谷川満治郎」名義で少年雑誌に投稿した文章『そぞろあるき』がそれである。ただ、これは年齢的にも正式に彼のキャリアと数えるのは些か早計であるとは筆者の見である。

 

 『新著月刊』からは掲載作品に対して幾許の稿料が支払われる筈だったそうだが、実際には得られなかったーーと、長谷川は回想している。また当時、病を患って絶対安静を医師に命じられていた身体を押して尋ねた長谷川は、後藤から

「あなたは一寸変わった環境に育ったと見えますね」

と言われたそうである。

 長谷川の作家としての位置付けは、直接間接にも坪内逍遥というビッグネームの影が付かず離れず見え隠れしている。直接には、長谷川は幼少期に兄・山本“笑月”松之助と共に、坪内の私塾に学び師事している。そして、長谷川が小説を見せた後藤も又、坪内の影響下にあった文筆家の一人であった。

 所で、この『ふたすじ道』発表時の長谷川のペンネームは、「如是閑」ではなく「胡戀」であった。本人すらも、それを後では「支那の女の名前」といい、念願叶って『日本』新聞社で記者として働き始めるようになってからは、「胡蓮」と改めた。

 更に、三十代に入った『日本及日本人』記者時代に同僚の名付けから「如是閑」に改名するのであったが、その間、約十年の間をして長谷川如是閑の“前史”と見なすのが妥当あろう。

 因みに、Wikipedia長谷川如是閑のページでは、「如是閑」のペンネームは『日本及日本人』の後に入社した大阪朝日新聞社時代に名乗ったものという記述があるが、これは誤りで実際はその前から既に「如是閑叟」「如是閑」「閑叟」の署名を用いている。

 

 そんな如是閑前史に相当する、二十代の長谷川のキャリアは専ら作家であったと見なすのが妥当な線だ。

 長谷川如是閑として驍名を馳せるきっかけともなった、大阪朝日新聞連載の小説『?』(明治42(1909)年3月-7月、連載。後に『額の男』と改題して書籍化、同年8月)だが、これはそれ以前に『日本』『日本及日本人』という名うての大新聞の社会面で鳴らした文筆の腕を活かした作品であった。

 彼が作家になろうか、新聞記者になろうか悩んだ話は、歴史上に於いても新聞記者としての揺るぎない地位を確立してしまった後には、「言葉の綾」と捉えられがちであるが、経歴をあらためると然程、冗談でもない事は明らかである。

 如是閑として活動を本格化していた時期においても度々、戯曲や小説、随筆を執筆した長谷川のこうした創作活動は、概ね当時も今日も「小説や戯曲の体を成した社会分析、批判」として捉えられがちである。それは実際、その通りなのであるが、けれどもその言外には「故にそれらは文学作品として数えるには足らないものである」とする評価が据えられていると見て間違いないだろう。

 

 ここでその評価の遠因を辿っていくと、果たして彼が最初にキャリアを始めた日清戦争直後の、観念小説・悲惨小説・残酷小説、そして社会小説の試みとその成果に対する評価に到達する。

 況やそれは、飽くまでも小説が物語である以上、如何してもそこで取り上げられる事象への批判も物語の本筋である所の、人間関係の異動や感情の浮き沈みーーこれらをドラマと呼ぶなら、その背景や傍論に止まった事で行き詰まりを見せた。

 それに輪をかけて、作者の社会経験や知識不足が結果として露呈する事にも繋がった為、これらの試みはそれ自体としては芳しい成果を後世に遺すまでに至らなかったーーとされている。

 

 この一群に括られた諸作の作家の名前で今日にまだ幾らか大きな知名度を有する者の中には、泉鏡花、川上眉山広津柳浪田山花袋徳田秋声樋口一葉らの名前が挙げられる。この他、専ら如是閑と同様の理由からーー即ち、作家としてよりも、ジャーナリストや随筆家として名前の知られているような人物として、斎藤緑雨内田魯庵の名前も含められる。

 ここから明らかなように、当時そこに含められ論じられていた作品や作家の功績自体は、その後、個別の文脈で論じられ評価されたものが少なくない。

 ただ今からしてみると、当時としてのカテゴリーは最早歴史的遺物・事象に過ぎない訳で、それ自体は現在の分類や文脈に於いては如何程影響力を持つかーーというべきものである。

 

 長谷川如是閑は昭和に入ってから『新聞文学』というパンフレットを草してそこで独自の文学論を展開するが、それは新聞それ自体を文学の一形式として扱おうとする提言を旨とするものであった。なお、その「新聞文学」という言葉自体は、別に彼自身の創作ーーという許りではない様なのであるが、重要なのはその名前で呼んだものが「新聞の中における文学」ではなく、「文学としての新聞」だった事である。

 その主張はそれ自体として興味深いものであるが、尚興味深い事には彼自身がそうして自らのそれまでの経歴を文学史の中に落とし込もうとした点にある。

 

 彼は『新聞文学』の中で、事実の報道であるニュースと、何か批判や主義主張、意見に基づいて作された新聞記事とを区別して後者を特に「新聞文学」としてカテゴライズした。だが、彼の見解では年代記も新聞に含められ、所謂ジャーナル的な、日記的なものも新聞であり、そこには自ずから書き手の立場が反映された、共時代的な文章を総じて新聞と称していた傾向がなくもない。

 後に、彼の提言が組まれてか否か、定かではないが、筑摩書房から出た『明治文學全集』には「明治新聞人文學集」という一巻が編まれている。ただ、これは飽くまで、新聞人の意気軒高、明朗赫赫たる文章のアンソロジーという性質のものであって、如是閑の意図との距離は中々に測りづらい。

 

 大成した後に展開された彼の目論見についての話は一旦此処でお終いとして、話を如是閑前史の頃に戻す。

 既に示した、観念小説・悲惨小説・残酷小説の類型に当て嵌まる作品の中でも今日、比較的読まれおり、本も入手し易い作家のものであると、泉鏡花の諸作品を第一に上げても差し支えないだろう。岩波文庫から出ている『外科室・海城発電』は今でも頻繁に書店で目にする事の多い作品集である。

 ただ、これを以て、観念小説・悲惨小説・残酷小説の典型というには、鏡花の作品は今日の受容も踏まえて十歩も二十歩も留保が必要であろう。こう書いても筆者自身がそう読めた験しがないのであるが、何より困難と感じるのは、それを例えば実際読んだとしても、当時と今日の隔たりというものをそもそも計りかねている状況に自身あって、きちんとそれを「読む」という事がどれだけ出来るものか分からないーーという事情が先行するものである。

 

 筆者は、表題作である『外科室』と『琵琶伝』を推すものである。が、この二作品については、稍もすればその出来過ぎと思われる設定にこそ、特徴があると思われる。

 それは勢い任せの、というよりも、その勢いを生じさせんが為に仕組まれた因果というべき設定である。事故や事件を引き起こす為にしつらえられた諸々の事情は、果たして花火やドミノ倒しみたいに、破綻する事は誰にでも予見出来るのであるが、その破局を如何に描くかという辺りで、作者の技量が試みられているようなーーそんな作品の趣が見て取れる。

 

 長谷川“胡戀”如是閑の『ふたすじ道』も、そんなカタストロフィーを巧みに描いた佳作である。当時の寄せられた作品評も好評価であったが、蓋しそれは後世において、観念が先行して空疎で物足りない読み物と評される謂れとなっているのかも知れない。

 胡戀時代の長谷川の創作はこれ以外にも多数存在するが、現在一般的に入手し易いものについては『ふたすじ道』を除いて殆ど存在しない。

 強いて数に含めるとしたら、箴言集『如是閑語』が挙げられるが、これ自体は新聞に散発的に掲載されたものであり、単著として刊行された事もない。

 然し、度々そこから種々の名言集や格言集に引用されたものが、更にネット時代になって孫引き・ひ孫引きされて、今ではTwitterで日に何度も自動投稿されている。ただそれも全体のごく一部に過ぎないので、矢張り、読めるものは『ふたすじ道』のみと言える。

 だが、『ふたすじ道』で胡戀-胡蓮時代の長谷川の文学作品の傾向はよく把握出来るものと思われる。

 因みに、如是閑の作品集も岩波文庫から刊行されているが、此方は日本文学ではなくて、思想・宗教の青帯から出ているので探す際には注意が必要である。

 

 物語は最後、運命を覆す事の出来ずに打ちひしがれた少年が、その破局を経て背景の闇に消えていく様子を、盗人宿の二階に上がるシーンでもって上手に締め括っている。

 それは丁度、『琵琶伝』で亡き人との伝令を勤めていた鸚鵡の囀りに従って、かの人の墓所に誘い出される不幸な女性のそれに近しい、滑り台を滑落するような、悪く言えば一辺倒なスリルがある。実際には、滑り台というよりかはもっと勢いのついた、差し詰め、ジェットコースター(といっても、明治のそれであるから、今からすればそれでも物足りないのかも知れないが)なのであるが、その途中々々に目端に捉えられるシーンというのを果たして読者がどれだけ拾っていけるかも、今日的鑑賞においては読者にとっての課題として指摘し得るであろう点である。

 

 飽くまで物語としての制約の中で、読者に行動を促すような含意を有するでなしに、ただ読んでいる内に明らかではないが、何かはそこに批判を斟酌し得るようなーーそんな迂遠な描き方をする為の、偽装としてのエンターテイメントだったとしても、果たしてそれが十分に娯楽として享受し得るものであったとしたら、それこそ其処に批判の内在の有無の判別は困難になると言える。

 『額の男』に寄せられた同時代の最も知られた評の一つに夏目漱石の一文があるが、其処で漱石は如是閑をして「地口たな才子」という評を付している。これは果たして的確に長谷川のその後の創作傾向を言い当てている。

 大阪朝日新聞退社後の長谷川如是閑の創作活動は、筆禍事件を経た後に、当局への批判を検閲の網の目をスルスルと潜り抜ける、パフォーマティブな軽妙洒脱さを披露していく。そこで展開された彼の文筆は、話芸に対して正しく「文芸」と呼ぶのに相応しいものであるが、その、風刺と見なす事も出来るが、然しそれと判じるには尻尾の長さが足らないーーそんな寓話めいた(殊の外、それ故に後世の読者には余計に杳として掴み難い)語り口は、彼の文筆活動の中でも大きなウエイトを占めている。この評価は果たして、今日もなお揺るがないものである。

 

 ただ、いかんせん、その迂遠なるが故に持て余されている感が否めないのも現状、事実であろう。

 然し、概ね今日の如是閑の読者は、そこにどんな批判や皮肉が込められていたか、という事を先ず探そうとして読むものだから、諸作品をはなから物語としては読んでいる風では余りない。

 故に、筆者は此処で一旦、そうした読み方に箸を置くよう推め、がっつく事を抑えて、取り敢えず物語として読む事をお勧めするものである。

 ……すると、ーー飽くまで個人的感想ではあるがーー意外と読めない作品が少ない事に驚く事だろう。何をか偉そうに物を書いてしまったが、それ位、意外と難しい作品は少ないのである。

 だが、読めない作品はとことん読めない。言語明瞭、意味不明ーーといった具合の、オチが掴めない、そんな「典型」が見出せない作品が、実は胡戀-胡蓮時代から間々見られるのである(ただ、それらの作品は概ね図書館に行って著作集などに当たるか、絶版になった本をネット通販で探す必要がある)。イリュージョンはイリュージョンでも、それは鏡花の様な幻想ではない。何かといえば、それは如是閑流のイリュージョンであり、大袈裟な言い方をするなら、それは今や失われたマジック、レトリックの痕跡でもある。

 

 此処で、再び『新聞文学』の話を蒸し返すが、長谷川が言わんとした「文学しての新聞」なる概念は、彼の実践した痕跡を見るに、それらの手品の技法を指していた様に想像される。

 それは、今風なアナロジーだと、ブラウン管で見る映像や、レコードプレイヤーから再生する音楽の様な情報を、新聞に掲載された文章についても言えるであろう。

 そういう様な事を、果たして長谷川も言わんとしていた様に把握しようとするのは如何にも筆者の恣意が働き過ぎているとは反省される。

 ただ、読もうと思っても、そもそも如何やって読めばいいのかよく分からない昔日の諸々の作品については、それ位、初めのうちはミスリードを自分に許してもいいかも知れないーー。

 そう著者自身は自分に対して思われる次第である。

 

(2021/05/13)

シン・エヴァと電線と電柱と

 ネタバレにならない程度に映画の感想を書いていく。今回は電線・電柱が表象していたものについて。

 

 『新世紀エヴァンゲリオン』といえばお馴染みの舞台装置、電線・電柱は今度の映画ではあんまり出番がなかった。

 ただ、予告編などでも既に示されていた通り、出てこない訳ではないのだ。が、既にそれらは言わば「死んだ」状態で登場する。とはいえ、それらは『Q』で既に「死んでいた」訳だが……。

 

 『Q』以降のエヴァ劇中における電線・電柱達を振り返ると、『破』までは、何だかんだでそれらは、辛うじてでも健気にセカンドインパクトを乗り越えて生きながらえて来た人類とその世界の象徴の一つとして、主人公たちを取り巻く要塞都市の毛細血管として劇中景色にしばしば登場していた。

 所が、ニア・サードインパクトによって『火星の人』(映画『オデッセイ』)のバクテリアよろしく、瞬く間に壊滅してしまった人類と共に、電線と電柱は機能を停止して完全に廃墟の一部となってしまった。

 

 へし折れ、虚空に浮かび、一面血で染まったような真っ赤な世界に黒いシルエットを湛える夥しい瓦礫の中で、なおその形骸を留めて観客の目を引く電線なり電柱は、そこに映っていない生き物(人間)の大量死(正確には、劇中に於いてはそれが「死」と呼べるかは不明なのだが)の痕跡として画面の中に犇めいているものである。

 

 

 所で、海外のゲームとかだと、子供の死体とかを表示出来ないものだから、ホラーゲームでも代わりにぬいぐるみが廃墟にポツンと残されているーーというような描写に置き換えられるらしい。

 旧劇場版でも新劇場版でも割合、「エヴァ」ではきちんと人が死ぬ様子や死んでいる事を示す場面なりセリフは設けられている。

 そもそも論だが、往々にして特撮映画やロボットアニメでは人が怪獣や敵のロボットに殺されたり、戦闘が行われてその中で色々なものが破壊され死んでいく描写が、その作品の見所、醍醐味となっている。如何に死なせ、如何に殺すかーーこれが肝と言っても過言ではない。

 

 ただ、此処で注意するべきは、その醍醐味は飽くまで過程としての死に至るまでの描写が醍醐味である、という点である。

 アニメでも、殺した後の夥しい死体の散乱した様子とかは未だセーフでも、それらを破壊したりするシーンを描いたりすれば、放映が見合わされたり、真夜中の番組だろうと「湖水を滑るイカした船の映像」に差し替えられてしまう事だってある。

 蓋し、その線引きは存外、意外な所に意外な程、明白に存在しているものである。

 

 だが、それでも描きたい、或いは描かねばならない場合は色々な工夫が施されるもので、例えば人相が分からないくらいに乾涸びさせるとか、白骨化させるというものである。ぬいぐるみもそのバリエーションの一つである。

 そして、思うに今度のエヴァにおける電線・電柱も、比較的そのバリエーションに近いのではないか、と思われる。

(これは監督の半ば伝説と化した、初期の自主制作フィルム『帰ってきたウルトラマン』のラストシーンからも着想を得たアイディアである)

 

 エヴァの劇中では、実の所、主人公によって引き起こされた破局未遂に巻き込まれた人類は死んだ訳ではなく、何かよく分からない事情で人間の形を保てなくなり、一つに融合してしまって、いう所、行方不明・生死不明の状態になっているらしい。

 だから、機能停止して瓦礫の山の賑わいとなった電線と電柱も、それを「死んだ人間の痕跡」と表現するなら、「何かよく分からない大災害の発生によって、一遍に消えてしまった人間の痕跡」と解するのが妥当な所であろう。

 

 電線・電柱に限らず、破壊された家屋や街並み、交通機関なども、それ自体人間を襲った惨禍の痕跡を留めるものではあると同時に、そこからいなくなってしまった人間の「型」を留めるものでもある。

 それは丁度、ヴェスビオ火山の噴火によって丸ごと埋もれてしまったポンペイが現実の好例だ。

 ただ、エヴァの痕跡的景色は、かの遺跡を舞台にした幻奇小説『ポンペイ夜話』の様な耽美な抒情が見出せるほど古びてはいない。例え機能を停止していたとしても、電線や電柱のシルエットは、まだきちんと動いていた時の事を思い出させる程に形を保っている。生き物の死骸で言うなら、まだ温もりや面影が残っている有り様ーーとも言えるだろう。

 これが、廃墟をして、幻想が生まれる源泉たらしめる事を阻むのである。それは、よくよく見て仕舞えば只管に痛ましい景色でしかない。その痛ましさを抜きにして観る為には、形がよく残り過ぎているのだ。

 だが、その温もりが、形がなお、地上に留まっている事ーーそれが表現される事が物語の上で重要であろう事は、恐らく間違いないであろう。

 その残存せる諸々を電柱その他で表現する際には、従来の作品で用いられていたアングルで描いた、廃墟の画面が連続される。

 それによって、既に滅びてしまった、いなくなってしまった人間がそれに通わせていた電気なり何なりというのが、まだ何かその内に残っているかの様に「見せかける」事に成功しているーーように思われる。

 

 此処で“温もり”、“見せかけ”という言葉で示した事柄は、前作『Q』に於いて作中主要なテーマに据えられていたものであると筆者は考えるものである。そして、これらの主題が引き続き、新作でも持ち上げられ、それが電線と電柱に付託されて描かれているようだーーとするのが筆者の見である。

 

 

 極端にいえば、それら崩れた形でキープされた電柱や電線は、デュープとしての綾波レイの如く、魂のない肉体のメタファーとして「読める」かもしれない。

 そんな妄想を掻き立てる場面の極め付けは、月を背景に横転し続ける、宙に浮かんだ鉄塔の姿である。一瞬ではあるものの、このシンボリックなカットはテレビ版のエンディングアニメーションを彷彿とさせる映像である。

 

 ゴーチェの小説『ポンペイ夜話』では、結局青年の前に現れた古代の麗人の幽霊と彼との関係は、彼女の父によって幽霊が冥界に引き戻される事によって悲恋に終わる。身分違いの恋、基、死者の生者の分別が同作では「灰は灰に」という風に象徴的に描かれる。幽霊は灰に帰り、青年の前から永遠に失われる。

 こういうあらすじ自体は実にありきたりなもので、予測可能なものである。だから観客や読者は物語のバリエーションを楽しむものであると言える。

 作る側も工夫は当然するだろうが、見る側もそれ相応の見る工夫でもって、そのバリエーションを探して楽しむのも一興と思われる。

 ゴーチェの興趣は、ミュージアムに展示されていた「胸型」という奇抜なモチーフを核に据えた点に因んでいた。

 又、本説もその顰に倣えば、「電線・電柱」というモチーフに焦点を据えた一文である。

 

 

(2021/03/19)