カオスの弁当

中山研究所blog

玩具で遊ぶ

 子供時分に竹とんぼの作り方を教わらなかったのは、今にして思えば失敗だった。

 とはいえ、今からでも独学でも作ろうと思えば不可能ではない筈だ。

 

 習わなかった理由に身内にそういう竹細工をする人間がいなかった所為がある。

 当時から今まで、竹とんぼとかは「わざわざ」作り方を教わるーーわざとらしい玩具で、それは何か自分には似つかわしくない伝統という風に思われていた。

 

 それに比べて、そろそろ七夕か、と夏至を過ぎた辺りから思うにつけて、自分が精々教わったのは、七夕飾りくらいだった気がして来た。

 そうは言っても、何かその土地の、家の仕来りがあって、それを代々継いで来たような代物ではなく、多分、どれも何処からか誰かが物の本や雑誌で見たり読んだりして作り方を覚えたものである。

 だから完成した飾りは、結局、スーパーとかで売っている、鍋の具材一式がラッピングされたトレーのようなものである。突き詰めれば、何処までも、自分たちの文化とか伝統というものは、それくらい「出来合い」の代物である。

 

 しかし「だから何?」というのが、やっぱり、何年も短冊やら飾りを作る間に抱いた感想だった。

 

 竹とんぼの作り方を教わらなかった事に対する後悔は二つ、それを(わざとらしくとも)教えようとしていた近所の老人から、自分が形ばかりでも教われば、それが何やかやで「本物」になったという事に気付いた所為と、今一つには、自分がそれを若し習っていたら、何かの機会に誰かに教える事も出来たのだという事に気付いた所為である。

 

 作って貰ったもので遊ぶだけでも十分構わないのだが、どうせそうして遊ぶ内に、玩具は失くすものであるし、壊れるものだ。又、何より手を加えたくなるものであるし、他人にも遣りたくなるようなものである。

 

 今更、切り出しナイフを持っていようが、蝋燭やバーナーを使っても心配されるような歳でもない。一つ手習として、竹細工の玩具の作り方でも覚えてみても、バチは当たらないだろう。

 でも竹とんぼが自分に向かないと思えば、紙飛行機や凧とかでもいいかもしれない。それも難しいかも知れないが、ともかく空に飛ばす玩具が良い。

 

 自分が下手でも、取り敢えず、作り方や飛ばし方を型通り教える事が出来たら、後は教えた相手が自分で色々、よしなにしてくれるだろう

 そんな事を不図思ったりした。

 

2021/06/24