カオスの弁当

中山研究所blog

カラスの遠吠え

 カラスの遠吠えは電柱の上によく冴え渡る。真下で聞く分にはさほど声量もないように聞こえるのだが、離れてもなお聞こえるので、その声は優に数百メートル先まで届く。

 普段買う牛乳が少し多く盛られているような気がしたので測ってみたらば気の所為であった。また、少し水っぽいような気もしたので調べたら冬場の牛乳は淡白な味になるという。これは気の所為ではなかった。

 拍子木の音も鳴り止んで静かな夜に戻って来ると、普段視覚に頼りがちな人間はいよいよ距離感というものを掴めなくなる。仕方なく、それで昼間はぶらつくがてら、歩調を速めたり弛めたりして、融通出来るようにしておく。

 

 カラスの遠吠えは、「アー」でもなければ「カー」でもない。「ワー」と書くには角張っているし、濁った「アー」よりずっと丸みを帯びている。

 すると、雨戸の閉まった事務所の中から、小犬が応じて吠えるのが聞こえた。それで、カラスの遠吠えは犬の咆哮に似ているのだと気付いたりした。それなりに図体のでかい鳥類だから、犬くらいに声が出せていても不思議はない。

 とはいえ、雨戸越しの犬の吠え立てる声なんぞは、数歩進んだらすっかり鳴りを潜めてしまった。カラスの声は自室に戻っても尚、聞こえていた。数分間、鳴き続けていた事になる。それは全く大した事だと感ぜられた。

 

 寒さと伝染病からの生活の萎縮とから、此処の所、極早い時間に隣近所は雨戸を閉ざし、皆家に引き篭もって過ごしているものだから、夜は星がよく見える。無論、高の知れた程度ではあるが、田舎に行くと天の川を始め、見え過ぎて空が星で霞んで見えると聞くから、この程度で却っていいのかもしれない。

 日中の交通量も減り、夜中は尚更減ったものだから、塵埃も光も目に見えて減った気がする。それを賀して良いのかは分からないが、兎も角、確実にこの数日は例年よりずっと色々なものが冴え渡って感受されて良いものである。

 鳥の声は確実によく通るようになった。今に家の前を猿や猪が散歩するようになる日も遠くはない気がする。

 

 年寄りは早寝だから、だとか、いい若いものが外にも出歩かんとは、とかものの言いようは色々にあるだろうが、何にせよ尤もらしく言えるのなら、幾らか面白味のあった物言いというのが果たして好ましいーーと思うのは、随分斜に構えた態度であって、そんな事も考えずに来る七日の粥が炊けるのを指折り日を数えて待つのが睦月正月には相応しく思えてならない。

 

 カラスの遠吠えがしている間は、森閑としてそれ以外、鳥の声らしい声はとんと聞こえなかった。だが、やがて家に自分が帰り着いた辺りになって、応答らしい声がするようになって、それも止んだらヒヨドリか何かのピーチクパーチク喚く声が聞こえて、それも直に止んで又、車とバイクのエンジン音が聞こえるばかりとなった。

 初春の午後とは果たしてこんなものである。

 

 所で、牛乳を買いに行ったのは、豊島屋の鳩サブレを食べるのに備蓄がなくなっていた為であった。矢張り、鳩サブレも新鮮な内が香ばしくて美味である。だが、そう一度に何枚も沢山食べるようなお菓子ではないし、又食べられるような大きさでもない。それで結構満足してしまう程に、しっかりとしたおやつである。

 それでお目覚にも食べる事にした。今年は初めから、ハトばかり食べている。

 そろそろ羊羹も食べ頃であるから、こちらもこれから切り分けて食べる予定である。牛乳の減りが果たして尋常ではない。骨が強くなりそうで結構である。

 

(2022/01/05)