カオスの弁当

中山研究所blog

麦わら帽子と白いワンピースの幻について

 

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、

谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

 

ーー西条八十『ぼくの帽子』(1922年)

 

 

 12、3年前「2ちゃんねる」のまとめサイトで、

“夏に関するイラストで描かれる、白いワンピースを着た麦わら帽子の少女が向日葵畑の中に立つイメージの元ネタは何か”

というお題で立てられたスレが紹介されていた。

 

 そこでも、またその後、同様のテーマを扱ったフォーラムでも様々な作品やアイデアについて言及がなされていたが、中でもその骨子として指摘されていたのは、山川方夫の小説『夏の葬列』(1962)である。

 同作中では、少年時代の主人公の身代わりになって亡くなった女性が着用していたのが「白いワンピース」だった、という設定が見られる。国語の教科書にも掲載されていたそうで、それで作品に接したという人も少なからずいた、「特定の世代にはよく知られた作品」の一である。

 

 ただ、『夏の葬列』のみでは、ひと昔前のオタク達が妄想したミューズの図像を完成させる事は出来ない。今一つのモチーフである「麦わら帽子」まで『夏の葬列』はカバーしていないからである。

 その「帽子」は何処から来たかーーという事を考えてみると、果たしてこれは冒頭に掲げた西条八十の詩だろうと思われる。

 森村誠一推理小説と、それを原作とする映画『人間の証明」(1977年、原作は1975年発表)でもって人口に膾炙した西条の詩は、少年と思しき語り手が延々と嘗て失くした麦わら帽子について回想する内容である。

 

 『夏の葬列』と『ぼくの帽子』の共通点は、主人公・語り手が男性である点、それぞれが自身の少年時代の(或いは未だに精神的にも肉体的にも少年である主人公が近過去の)出来事を回想している点にある。

 そして、彼らが各々自身の過去の喪失体験の起点に立ち返ろうとして失敗する様子が全体に於いて縷々陳述されている点で、両者は共に個人を形成している空虚を主題にしていると言えるだろう。

 その空虚を当人が補完しようとしては失敗するのを反復している、その行為自体が主人公の個性であり、その行為までを含めてが彼そのものを規定する体験の全体であるーーという事を読者に分からしめる作品であるのも又、同様である。

 

 「麦わら帽子」と「白いワンピース」は、総合すれば何れも個人の私的なトラウマの象徴であり、後悔と罪責感の象徴でもあり、又、喪失した思慕の対象の象徴としても扱い得るものだ。

 但し、サブカルチャーの文脈では概ねこれらの「私的な夏の経験」のシンボルであって、飽くまでそれらはそのラベルとしての機能を有する過ぎない。

 固有の文脈、物語を離れて記号として用いられる様になったアイテムは、別段、そうしたものを描くのに、或いは鑑賞するのに際して消費者が何のシンボルだと気付く必要は特別なく、ただそのアイテムに相応しい物語を想像して代入する為の空白として認識されれば用の足る記号である。

 

 然し、矢張りその二つのアイテムを携えた少女というのは、自ずと喪失のイメージとして往々解釈されて来たものであった。

 それは、アイテムだけが模倣され反復された過程で忘失された物語のシンボルとして少女が機能しているのかも知れない。だが、そうしたイラストの「語り」(設定)に於いて、「麦わら帽子」と「白いワンピース」という“喪失”のシンボルを二つも具備している少女が、そこで暗示されている運命を自ら否ぶ力を持っている筈は、先ずないものである。

 

 “オタク”がこうした喪失とトラウマのイメージに憧れるのは、ひとえに自身がその様なイメージを形成するだけの経験を積んでいないからだーーという様な意見は、先に触れたフォーラム以降のみならず、それ以前から散々に言われて来た言説の一である。

 ただ、その指摘は不十分であると思われる。何となれば、その喪失経験は個人その人がその対象の犠牲によって現在も自身が存在するのだーーと自己規定し得る程の強度のある経験という風な修飾が付け加える必要があるだろうからである。此処で重要なのは事象の不可逆性であり、それを以て喪失と見做す為に必要な条件である。であるからして、麦わら帽子に白いワンピースを着た少女というのは、そんな不可逆性のシンボルとも解し得るかも知れない。

 

 所で、ここまでで「白いワンピース」と「麦わら帽子」までは見て来たが、意図的にはぐらかしていた今一つの“アイテム”がある。

 「向日葵畑」である。

 これについては、元ネタとして例えば、北野武の映画が言及される事が間々あったものの、それも素材の一には違いないだろうが、今まで見て来たものと比較してみれば、そうした邦画のイメージの大元も、恐らくは日本で1970年に公開された映画『ひまわり』( I Girasoli 、イタリア・フランス・ソ連アメリカ合作)であろうと思われる次第である。

 この映画の中に登場する地平線まで広がる向日葵畑のイメージが、それを意識したそれ以降の邦画のイメージを経由して2000年代のサブカルチャーの一典型の背景となった……と考える方が筆者個人としては随分しっくり来るものである。

 ただ、そうして考えてみると、実はあの“白いワンピースを着た麦わら帽子の少女が向日葵畑の中に立つイメージ”は、決して喪失だけが描かれたイラストではないように見えて来る。

 過去の出来事を踏まえて、新たに人生をやり直そうとする人間の、割合前向きな(そして稍、大袈裟な)気分の表象でもあるようにも見えて来るものである。

 それは「白いワンピース」や「麦わら帽子」だけの状態からは導き得ない意味合いであり、故にその場合、延々と連なる向日葵畑の中に立った麦わら帽子を被った白衣の少女は全く「過去の人」のシンボルとなるであろう。

 

 なお、蛇足ではあるが、果たして近時の情勢は、以上本稿で扱った画題を決定的に“過去のもの”に、歴史的事物として変化させつつあるものと言い得るだろう。だが、変わらない点があるとするならば、それはあのイメージが「喪失経験とその反復」としての図像的意味合いである点に尽きる。

 そのシチュエーションで示唆し得る出来事の時勢は、何も過去ばかりではない。過去が現在や未来に変わった時、これらのイラストのキャプションは“Carpe diem”から“Memento mori”に掛け替えられるものだろう。だが、この文句はそもそも対であり、何方にしろ同じ事しか示していない。

 

 そして、もし、それが疎ましく感じる時には、果たしてイラストの背景は別のロケーションを選んだ方が良いだろうーーというのは蛇足の上の蛇足であろう。

 そんな気分の時に、どんな風景を描くかはクリエイターが各々の裁量に委ねられている。そして、その鬱積の中から今後、新たなイメージが成立するのを筆者は密かに期待していたりする。

 

(2022/07/29)

電話線の怪/『シェラ・デ・コブレの幽霊』

 大分昔にテレビ番組『探偵ナイトスクープ』で取材され、幻の恐怖映画として今日まで名前だけ本邦でも有名であった『シェラ・デ・コブレの幽霊』(1964)が、Amazonプライムで日本語字幕付きで配信されている。かと言って、この記事は別にステマでもない。

 期せずして、本作も電線・電柱映画だったので筆を執る事にした。これまでも、ホラー・スリラー作品で度々、シンボリカルに登場する電線・電柱はヒッチコックの『鳥』(1963)や、デヴィット・フィンチャーの『セブン』(1995)などを見て来た。

 

 『シェラ・デ・コブレの幽霊』は『鳥』と同時代の作品であるが、本作では『鳥』よりも露骨に、電線・電柱が恐怖を増幅する道具として登場している。

 死んだはずの母親から毎夜、電話が掛かってくるのに悩まされる男の元へ、ゴーストハンターが赴き事の真相を確かめる……というのがあらすじの『シェラ・デ・コブレの幽霊』であるが、電線・電柱はその母親が眠る墓所(冥界)と、男の住む屋敷(現世)を繋ぐ装置である。

 

 同作のオープニングは、墓場の風景が都市の風景に重なり、更にそこへ白波が押し寄せ、街を洗い流したかと思えば、浜辺の風景へと移り変わる。この辺りの表現は、恐らくはサルバトール・ダリの表現技法「ダブルイメージ」を意識したものであろうと推測されるーーその証拠というには弱いが、浜辺の構図はダリがよく描くカダケスの渚のそれに似ているーー。

 幼少期のトラウマやら神経衰弱やら何やらをふんだんに詰め込んだダリの創作活動は、そもそも彼のキャリアからして映画との親和性が高く、ヒッチコックが1945年に『白い恐怖』で彼を映画制作に招き入れるなど、後の映像作品に及ぼした影響は少なくない。

 『シェラ・デ・コブレの幽霊』もそんなダリやシュールレアリスムの影響を受けた映画の一つであろうが、故に他人によっては“難解”で退屈な表現が続く様にも感じられるであろう作品ではある。

 

 ところで、物語における表象としては、昔懐かしい黒電話の機械の方が、電線・電柱よりもずっと注目される。

 言うまでもなく、20世紀初頭から中期にかけての電話(固定電話)が芸術に与えた影響は広範に及ぶものであったが、中でもそれが一番、影響を与えたのは「人と人との心理的距離感」とその表現であった。

 ただ此処ではそれについて書くのは、筆者の能力が及ばないので割愛する。

 又、電話という装置の機能よりも、ここでは「モノ」としての電話について注目する動向について紹介したいと思っている。それは、受話器の形状と、専ら家庭でそれを使用する女性との関係云々について論じた大昔の文脈についての言及であって、そんなーー最近ではちっとも聞かなくなった(或いは、忘却刑に処されでもしたか)ーー言説の紹介でもある。

 

 テラテラ黒光りする受話器についての下世話な想像の文脈紹介はこれまでにして、今一つ、この電話機が『シェラ・デ・コブレの幽霊』で果たす役割について紹介したい。

 電話機のベルの音は、「早すぎた埋葬」によって、生きながらにして葬られた死者が、棺の中から鳴らす合図の音ーーベルの音ーーを想起させる。即身仏を目指す僧侶が生きながらにして棺桶の中に収まり、土中に埋まり、生きている間は鳴らしたという鈴の音と同じ様なものであるが、西洋の場合、その合図の信号は、火急的速やかに土中より生者を救出せんが為の合図の信号である。

 ウッカリ墓場で蘇生した人間が地上にその生存を知らせる信号を発する事が出来るような装置は、実際19世紀から20世紀にかけて措置されていたという。

 

 生きながらにして埋葬される恐怖に匹敵する話といえば、本邦では火葬場の窯の例が相当するだろうが、両者を比較するのは妥当ではないだろう。

 兎も角、そんな生き埋めの恐怖に応じて実際、地上との通信装置が設置されていた歴史がある西洋社会において、墓場から伸びた電話線によって伝えられた「死者からの電話」というのは、明らかに「現代化」された鈴の音に他ならない。

 

 死んだ筈の者の気配が地下から迫り来る恐怖は、ポーの『アッシャー家の崩壊』然り、古典的な恐怖の例といえる。

 そんな恐怖を、科学や工業の発達した現代文明社会のシンボルでもある電線と電柱が表象しているのは皮肉といえば皮肉である。

 それは何も、19世紀が今ほど身近だった1960年代だから成立した「設定」ではない。何ならその4、50年後にも「コードレス」になった電話でもって死者や悪霊の声が生者の耳朶を打つような映画が日本でも撮られたりしたのは、電話という通信手段そのものが持つ、人間に対して恐怖を抱かせる作用故にであろう。

 

 男は怪異に接して「生まれて初めて、目が見えないことに恐怖を感じた」ーーと語る場面が映画冒頭にみえる。

 ただ、考えてもみれば、誰しも電話で他人と交信する時は盲目である。最近は、コロナ禍の副反応で、漸く21世紀らしく「テレビ電話」を使った在宅勤務や授業も普及したきらいがあるが、それだけ技術的に進歩した社会では、アバターやディープ・フェイクといった方面の技術的進捗も目覚ましく、結句、「目に見えているありさまが本当ではない」という意味ではさして状態に変わりはないとも言える。

 寧ろ、この夥しい通信の絶えず交わされる状況にあっては、「幽霊」の存在はより身近になったとも言えよう。が、それに対する恐怖は今一、筆者には正直なところ、感じ取れないものである。

 というのも、矢張り先入観がそれを妨げるのである。

 幽霊は目に見えず、平凡な人間や特殊な状態にない人間には感知し得ないものだーーというのがそれである。又、そうした見聞きしたり、知り得ない事象を「幽霊」と呼ぶ事さえある位だから、全く旧弊な者である。

 

 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」

と昔は言ったものだが、事今日に至っては

「正体見たり電線電柱」

と言うのが妥当かもしれない。

 

(2022/05/16)

直近アニメ電線・電柱事情

 2020年代に入って、と数えるよりも、“専門的”には「令和」と和暦を読む方が適当であろうが、兎も角、平成のアニメ作品ばかり取り扱っているのも稍、既にロートル染みている気がする。

 だが此処数年の作品について言及するのは、なまじフレッシュであるだけに口憚る所が少なくない。とはいえ、それは飽くまで狭い視野で生きてればこその自意識過剰であるーーと言えようものだから、自分でも少し反省の意味合いを込めて、少し書き出してみる事にする。

 

 順を追って書き出してみるが、別に筆者は兎に角アニメを必ず見て、その分析をする様な勤勉家ではない。其れ所か、リアルタイムで碌にアニメを見ない方である。だから「こんな事」をしている説明にもなるかも知れないが、ズラズラ書くだけの抽斗もない。

 

 『シン・エヴァンゲリオン 劇場版』(2021)は、最早電線・電柱アニメというか、太陽光パネル・アニメであった。とはいえそれは、嘗て2000年代頃まで未来社会を舞台にした作品に描かれた新しい魅力的な電源装置ではなく、一朝にして崩壊した世界の廃墟の中で、辛うじて露命を繋ぐ人々の小屋の上に据えられた「貧苦」のシンボルであった。

 『シン・エヴァ』の感想の中で多く見られた「落胆」と「失望」も、そうした太陽光パネルというモチーフの使用ひとつを取って見ても、宜なるかなーーと感じた次第である。

 それは確かに、旧時代の物語の終焉に相応しい、新しい使い方であり、それが如何にも居た堪れないーーと視えたとしたら、それは映画を観る人間が自身の現在的問題に向き合う場面に出会した、と受け止めるのが穏当だろう。

 

 発電装置でいえば、『アイの歌声を聴かせて』(2021)に登場した、海浜に建設されたダリウス風車群は、作品に相応しく、又『シン・エヴァ』とは好対照の「希望」のシンボルであったと言える。

 稍もすれば『エヴァ』は(こう言っては何だが)やたらと内容が深刻に過ぎる作品だという留保を、オタクはつい忘れてしまいがちである。道具や技術というのは人間が幸せになろうとして研鑽するものであるーーという前向きなテーマが終始一貫した作品は、(残念ながら)少ないのが現状である。

 電線・電柱も多数登場する『アイ歌』であるが、本作に於いてこれらは昭和のテレビアニメにありがちな、「昔ながら」の頼もしい存在である。ただ、その頼もしさは裏返せば主人公ら「子供」に対峙する「大人」の、世間のシンボルであり、その二面性も含めて非常にクラシカルーー懐かしい印象を受ける使用と言えた。

 

 「旧エヴァ」基「エヴァTVシリーズに於いても、此の電柱等のパターナリスティックな側面はあるにはあった訳だが、例によって「エヴァ」の中で描かれる親子関係は相当に拗れて破綻しているものであり、その“機能”が大分作品内で稀薄となっている。ハンモックの網の様に、あるのだかないのだか中途半端な感じを持たせる、或る意味で作中で描かれる親子関係・人間関係の象徴にピッタリな図像ではあるのだが、(くどい様だが)それは『エヴァ』の「個性」である。

 ポピュラーなのは『エヴァ』かも知れない。だが一般的なのは『アイ歌』の電線・電柱なのである。

 

 もう少しネタがあるかと思ったが、想定外にネタがなかった。致し方なく、Amazon プライムで観たテレビアニメも含めようとしたが、恐ろしい事に令和以降の作品は全然観ていなかった。猛省するべき点である。

 

 テレビアニメで最後に通しで観たのは如何やら、『恋は雨上がりのように』(2018)であった。電線・電柱が出て来そうだ、と見当を付けていたらドンピシャで、綺麗なシーンが幾つもある良作であった。

 今更調べると、知らない事ではあったが、物語完結直後に「炎上」した様であるが、その理由も方々に残った記事なぞ読むと、案の定の由からであった。

 強いて、前二者に寄せて語るなら、本作も一つの「典型」に則ったものであると言えるだろう。“あの”オチが果たして、何処までも中年男のロマンを体現したものであるーーという批判なら筆者も頻りに首肯するものである。……が、蓋を開けてみれば、何の事はない。何処までも「奥床しい」、読者・視聴者の悲愴慨嘆が縷々連なる有様は幾分筆者の目には奇妙に写った。

 

 これはアニメ作品に限らない話であるが、所謂、物語の結末に於いて主人公に「救いがない」と観客が口々に評する作品群の半分位は、「主人公に感情移入していた観客」が救われない物語の様である。詰まりは、主人公に成り切れなかった観客の鑑賞後のケアの問題と、物語内のケアの問題を区別していない、或いは意図的に混同して呈しているコメントが半分を占めている。そこから、物語内に於ける「論理の飛躍」を合意として共有出来る・出来ない同士はお互い観客の半分位だ、という事が言えるだろう。

 だからといって、何方が通であるとか、そもそも通であるか否かについて、映画を鑑賞するのに重要な事柄であるかは、甚だ疑わしいものである。映画鑑賞はスポーツではない。

 

 

 以上、筆者最近のアニメ鑑賞の記述から自身で言い得る事は、野次馬根性の露骨な奴である、という一事であろう。テレビやケータイ、スマートフォンのモニター・パネルの前で寛ぐ許りの、星新一が皮肉混じりにショート・ショートの中で描いた未来人の姿そのものとも言える。(但し、あれも仕事の前後に同時代の新聞とか雑誌ばかり読んでいる活字人間の風刺な訳であるが……)

  或いは又、理想主義的とも夢見がち、とも言える思考パターンの持ち主であるとも言い得るだろう。その様に安穏と寛いで作品を鑑賞する姿勢そのものが随分と時代がかった趣味である、とも思われる昨今である。とはいえ、これも強いて言うなら、“負け犬”の抵抗である。それは池に骨を落とした犬の強張り、とも言える。然り、中年男のロマンスも、昔ながらのポジティブな科学技術が切り拓く未来への憧憬も、古臭かろうが構わず現在に於いて享受する行為は、現状への抵抗と否定と映っても「致し方ない」。

 

 詰まる所が、人間を信じる事の象徴、人間性への信頼を鼓舞するアイコンであれかしーーというのが、個人的な表象への思い入れである。

 そういう偏見を持って見るものだから、自ずとそれに引き摺られて、作品の受け止め方も歪んで来る。

 『シン・エヴァ』に於いて破却され、宙空に投げ上げられ、クルクル回転するモービルと化した赤い鉄塔ーーこれを見た時、筆者はTV版のエンディング・ロールに映っていたアニメーションを思い出して震撼したーーは、或る意味で同作自体が作り上げた電線・電柱の「神話化」と、その「神話」の終焉を決定付ける画面であると判じた。それまで未来として語られていた時代は、現代にすっかり置き換わったのである。斯くなる上は、自身の立てた予想を踏まえて色々「覚悟」をせねばなるまいーーと筆者が思ったのは、丁度去年の今頃の事である。

 ただ、その予想について、わざわざ自身筆を割こうというつもりはない。何故なら予想は既にして眼前にあるからである。

 

(2022/05/05)

電線・電柱と『エヴァ』の潔癖

 日本のテレビアニメーション作品の特徴として指摘される電線・電柱は、文明の象徴であり、歴史的文脈に於いては文明忌避・自然回帰的なコミューン運動に対する抵抗の象徴でもある。それは屡々、“電線・電柱アニメ”の代名詞とされる『新世紀エヴァンゲリオン』の中で特に物語の中の文脈に於いて強化され、ピークを迎えた。

 

 高度経済成長期に於いて日本国内に続々と建設された「景観」としての電線・電柱は、戦後に沸き起こった市民運動とパラレルに存在した。自然回帰や文明非難の論調が高潮する運動の中で出来するのを眼下に収めながら、続々と建設された無数の構造物は、一方に於いて、潜在する消極的なソリダリティの象徴としても機能していた。

 

 『エヴァ』に於いて極端だったのは、自由恋愛に対する忌避感の表現であった。同時代的な評価では(或いは今日に於いても)、その忌避の対象は恋愛であるとされた。これについては、議論の当事者の自由に対する忌避感乃至警戒心の程度に比例していたものであろう。又、そうした方が政治的にも娯楽としての作品鑑賞の点でも無難であった事は明らかである。

 ヒッピーに代表される冷戦下の潮流は、「オタク」の形成のそもそもの原因である。だからと言って、安易に電線・電柱が対抗的な事物であった、という訳でもない。それよりも他にアイコンに相応しいものは無数に存在していた。

 尤も、そうした対抗的アイコンに対しても距離を置く形で配置されたのが電柱・鉄塔といった大道具、路傍のオブジェだったーーというのが筆者の見である。

 

 アニメに出て来る電線・電柱の解釈について、『エヴァ』を“要石”として捉えたとしても、殊更此の『エヴァ』の「抵抗」の意味合いは継承された、とは言えない。

 とはいえ、その(大雑把な)二項対立の間で俗に言う「第三の選択肢」を模索する人々の様子を描く物語の背景として、彼ら叉手する人々のシンボルとして、電線・電柱は『エヴァ』に於ける潔癖表現の手法的影響を受けているものといえる。

 

 2010年代以降、今日に至る近時の情勢は、然しながら、景観としての電線・電柱は対抗的文脈で担ぎ出される事が間々起きる様になった。更には、社会基盤の弱体化が電線・電柱の具有していたソリダリティの象徴的価値を顕在化しつつもあり、上述の系譜は1990年代から2010年代前半頃までの約20年間にーー謂わば、20世紀末とその余波の残っていた21世紀初頭に限定されるものだろう。

 

(2022/05/05)

文鎮三昧

 文鎮とは隠語で「形ばかりで実際には機能しないもの」を指す。最近では、動かないスマートフォンも「文鎮」というらしい。随分古風な言い回しだと思うが、差し詰め現場では代々昔ながらの言葉遣いが残っているものだから、それらを踏襲したものであろうか。

 そんな意味があるとは知らずに「文鎮集め」を趣味にして、他人にも話す内に妙な顔をする人間も何人か居た。今更その訳に合点が行ってもだから如何という話ではある。木偶の棒が文鎮集めを趣味にしているーーなんぞは、冗談にしても詰まらない、という話であろう。

 とは言え、文鎮は歴とした文房具である。意匠も材質も多種多様で、古今東西、金属やガラスだけでなく、黒檀や紫檀などの重たい木や、天然石を加工したもの、陶製のものまで沢山ある。

 

 重たく、掌に載せてずっしりと来る固くて丈夫なものは、文房具の中では文鎮だけであろう。

 だから、いざという時の備えに何でも取り敢えず「文鎮」としてさえおけば、取り締まりの目を掻い潜る事が出来るーーという悪知恵ばかりが世間に流通して、文鎮集めも半ば、その様な危ない趣味かの様に見られる事も実際少ない事ではない。

 ただ、それでも文鎮の扱いはマシな方であろう。

 兎角世間は何かあれば、先ず道具が悪いとしてこれさえ無くせば人間の根性も悪くならないーーという横着をしようとする。それも果たして、自分らにとって都合よく、物を「文鎮」に仕立て上げるのと同じ悪知恵を働かせた帰結である。

 ペーパーナイフもカッターナイフも、この悪知恵によって遂に人間を悪者に仕立て上げる口実になってしまった。果たして危険なのは、そんな悪知恵を考え出す人間の頭であろう。

 

 そんな事を考える内に、気が付けば机の上がオブジェだらけになっていた。然し、手元の文鎮は実際の所、実用には軽過ぎて向かないものばかりである。

 本のページが閉じない様、押さえに使おうとしても紙の厚さに負けてゴロゴロと転がって行ってしまう。飛んだシーソー・ゲームである。

 幸い、鑑賞には適した造形の品が少なくない。今日も筍とキノコの文鎮を鉛筆削りの隣に置いたらすっかり馴染んでしまった。「明窓浄机」からは甚だ程遠い机上である。

 

 筍もキノコも何だか秋の印象はするが、何れも春が旬の食材である。炊き込みご飯の印象も稍もすれば秋ばかりに傾くが、筍ご飯は春の味覚である。又、秋に生えるキノコも沢山あるが、空気が湿潤となる晩春から梅雨の時期にかけても山はキノコで犇く。

 何かしら、その時々の、折々に合わせた小物があれば良いーーと思う気持ちが、其れさえ在れば十分と言える様な代物に手を出す事を躊躇わせる。軽く打ち合わせる事で聴こえるコツコツと澄んだ音は、鳴らす事も併せて気分がいい。割合、そうして文鎮を目より手より、耳で楽しんでいる自分がいる。

 そうして、文鎮になりそうなものがゴロゴロと転がっている水際を想像するにつけ、余りのめり込むのは危ないだろうと思った。文鎮を求めて水に浮かぶなんて、冗談だけの話にしておきたい。

 

 思えば、こんな文鎮を収集する様な趣味は赤ん坊が最初に手にする玩具で遊ぶ様なものである。ガラガラやら積み木やら、或いはグルグル回るモービルやら何やらをもてあそび、見聞きして楽しむのと何も進歩がある所ではない。

 鉱物や動物の骨角、貝殻や木の枝を玩弄するのはよくいえば「博物学的」であろうが、悪くいえば、全く「前近代的」であろう。不潔不衛生、そして不経済ーーの誹りを受けても致し方ない。

 手書きの文に意味はなく、その内容こそが意味であり価値なのだーーとする今の時代に於いては尚更、文鎮なんてものは全く「無駄」で、ただでさえ生きていくのに狭い浮世の場所塞ぎでしかない。そもそも、赤ん坊にしても前以てその価値が見出されてこの世に産する様な場所が世間である。

 だが、そんな理屈が如何にも悪知恵としか思えない、又感じ得ない者が意固地になればなる程、その身辺に場所塞ぎの藩屏が増えて来るのは必然の理である。

 すると、最早、その場所塞ぎの文鎮は矢張り、「文鎮」なのではないかーーと勘のいい人は直ぐ気付く筈である。そこに余計な、それこそが「無駄」である口実を見出した時点で、文鎮はもう文鎮の正体をなくしてしまう。而して、そんな事は断然あってはならない。

 文鎮のキノコや筍が似ても焼いても食えない様に、旬のキノコや筍が机の上に転がっていても、それは後刻、食卓に並ぶ品物である。

 品物には其々、相応しい場所があるというものだ。

 

(2022/04/28)

極楽の余り風

 日本での生活は一年の半分は湿気に耐え忍ぶものである。クーラーがあっても、それは変わらぬ事情である。

 そんなもんだから、自ずと志向は高原へと向かう。涼しく、適度に乾いた環境へ避暑に向かう。燦々と降り注ぐ日差しの元で肌を焼こうなんて発想とは縁遠い。寧ろ、そんなジリジリ、塩が吹きそうな場所から逃れて木陰の下に涼を取ろうという欲動に突き動かされているのだから、わざわざ好き好んで炙られにいこうというのは他に目的があると邪推されても強ちではない。

 

 「極楽の余り風」という古い言い回しがある。意味としては、「干天の慈雨」に等しいが、専ら其の儘の意味で用いられる。即ち、暑い最中にソヨと吹く風の涼しさを讃えて呼ぶ。

 そんな「極楽」の一端は、風そのものであり目には見えない。肌に感じる刺激である。或いは動きとして、視覚に捉えられるとすれば、小枝や吊るした何がしかに表れた揺動がそれである。

 だが、何よりか目に見えないものの情報は耳で、音として得られるものである。だから風鈴なんてものが、或いは竹や笹が飾りとして用いられたりする。あれらが若し、身じろぎ一つせずにあるものだったら、極見窄らしいものでしかないだろう。

 

 兎も角、大事なのは動きである。尚且つ、その動きは、何方かと言えば軽薄な、些細な動きが味噌である。

 畢竟、生き物であれ、メダカや金魚を飼育するのも、或いは虫や小鳥を籠に入れ飾るのも同じ理由から来ている。水や、「半透明」の籠の中に動くものを入れて、その不規則に動く様を目や耳で楽しむーー。これが専ら室内に於ける趣味の中でも人気を占めていたのは、生憎と今日では随分忘れ去られた風情がある。

 

 完全に覆ってしまうのではなく、垣根や生垣の様に、隙間としての「目」を残す事は、何も「風水」的な意味合いからーーというよりも、通気性の事情からであったろうと想像される。

 勿論、これだけ南北東西に長い列島だから、何処も同じ事情であるとは言えず、寧ろ各所で違った事情から様々な工夫や仕掛けがあったものであろうが、それらの知識は随分と廃ってしまったか、或いは巷に流通しなくなってしまった。

 

 電柱・鉄塔の林立する景色というのも、或いは銀色は鈍色の金属の剥き出しの表面がゴロゴロと転がる景色というのも、実際それらを涼しい所から眺めるのであれば、先に述べた様に竹細工やら何やらを見る時の様に面白いものである。というのも、それらは昼間は大気の揺らぎによって、夜天の星の様にキラキラと瞬くからである。

 斯くも湿潤たる気候にあっては、冷涼閑寂たる地域の中で育った感性は其の儘では中々通用しない。

 

 こんな小話がある。

 嘗て、東京市議会に於いて街路の舗装を推進しようとした際に、

「それでは下駄屋が廃業するではないか」

と反論した議員と意見があったそうである。

 未舗装の街路は事ある毎に泥濘に変じて、これには下駄が必須であった訳だから、その意見にも一理あると言えばある訳だがーー、何よりか此の発言は、思うに此の議員を含めた少なからぬ人々の内に、蒸れる靴への日頃の不平不満が堆積していた事情の発露ではないかと考えられる。

 今では然程、表立っては憚られるようになったものだが、ふた昔程前ーー詰まり、世紀の節目前後迄は、「足の水虫」というのは半ば国民病的な風潮があって、年中構わず、此の「水虫薬」の広告が見られない時期はない程であった。原因は当然、靴である。

 

 東京市議会の舗装道路を巡る議論は、「下駄屋」発言に留まらず反射熱による問題も議論されており、飽くまで「下駄屋」云々はその序でに出た様なものであるが、其の場で最大の争点であったのは、取りも直さず、「西洋化」「近代化」そのものであった訳で、文字通り、足下の近代化のシンボルたる靴も此の時、暗に槍玉に挙げられたーーというのが、果たして事の真相の様に思われる次第である。

 

 実際、下駄は正直靴に較べたら随分歩き辛いが、通気性は格別である。

 涼しげである事が本邦に於いては美的にも優位である事情は今も変わらない。空気が湿気を帯びて来るとたちどころに出回る衛生用品を見ていても明らかだが、「清涼感」は果たして贅沢の第一なのである。

 

(2022/04/27)

夜汽車の通る風景

 100年以上前の絵葉書の画題に「夜汽車」がある。文字通り、夜中、山間部や海浜を走る機関車の絵・彩色写真を刷ったものであるが、今時こういった絵を見るとノスタルジーとかそういう感想が真っ先に浮かぶものであるが、昔はどうだったかというと当然、そうではない。

 「夜汽車」の絵葉書は概ね3パターンに分けられる。

 ① 橋を渡る場面

 ② 山間部を走る場面

 ③ 鉄道の為に整備されたエリアを走行する場面

 ③ は曖昧な表現ではあるが、鉄道愛好家でもない自分には中々難しい。

 言うなれば、機関車が描かれるのは当然の事として、それが走行する場所・風景というのが概ね3パターンに分けられるーーという事である。

 ① は水辺・海辺、② は陸地、③ は開発地、という風にすれば対比も容易である。

 

 さて、こうした景色というのは実際、辺鄙な所にわざわざ足を運ばなければ見に行けない、空想的な景色である。そもそも鉄道は、その排煙やら騒音の関係で概して主な居住区域の外に敷設されたものである。

 然るにそれらを寄ってわざわざ見ようとすれば自然、辺鄙な界隈まで出向く必要があったという訳であるが、そうした「普段の生活の場と一風変わった景色」というのが、絵葉書という代物に相応しい絵であったのは、絵葉書の持つ性質にも因むものであったろう。

 

 絵葉書は差出人と名宛人の双方にとって別々の価値を持つ。だが、両者にとって何れにせよ、概ね絵葉書に描かれた事物や景色というのは生活の外にあるものである。それら「外」の様子を絵葉書は紹介する代物であったりする。

 夜汽車の絵葉書の話に戻ると、それらは特定の場所を描いたものというより、差出人と名宛人の双方で同じ景色ーー「外」の様子を観察、共有しようという意図の下で交わされた(少なくとも実用面に於いては)ものであったといえよう。

 或いは、既にある何某かの共有する観念に姿形を与える意図でもって相応しい図柄が選ばれたとも考えられる。

 そこで、夜汽車は如何いった意味を持ったかーーについて考えてみると、絵の中で機関車は飽くまで彼等、当時の人々にとって同時代の事物であって、その通行する背景の景色こそが彼らのノスタルジーの向かう先であった事が推量される所のものである。

 

 それでは、①〜③ のそれぞれについて、少し解説を加えたい。無論、相当粗野な説明なので容赦願いたい所だが、初めは① についてからである。

 橋というのは、今も変わらぬ土木建築の代名詞であるが、19世紀後半の日本においては、巨大建築といえば概ね橋こそがその象徴であった。

 今でも全国各地に架かる大橋は、その土地の歴史と誇りの象徴として内外に知られる所であるが、今よりもなお、その意義も存在感も大きかったのが一世紀半より昔の事情である。

 然し、そうした橋も盛んに架け替えられるようになって、機関車の通行出来るような頑丈になった橋は以前の外観とはすっかり違った、逞しい鋼鉄と石造の威風を湛えている。

 今一つ、土木には河川改修工事等もある訳だが、その様な大規模工事が今日、二十一世紀の人間の想像する規模で行われる様になるのには、絵葉書の流通した時代を下る事、尚約半世紀の時を待たねばならない。

 此処では鉄道が往古の景色を一変させた事を示す為に、先ず背景がどの様な意味合いを有するかについて関心を払う必要があるのである。

 

 話は少しズレるが、以前ネットで電線や電柱が伝統的な景観を破壊するものとして批判する文脈で、北斎の「赤富士」の絵にあり触れた電柱のシルエットをコラージュした画像が拡散されたら、却ってその絵が人口に膾炙してしまった事があったが、このコラージュ画像を批判的文脈で作製した人々の手法こそが、果たして昔絵葉書を作製した人々のそれを踏襲したものであるーーと筆者は考えている。

 

 閑話休題。続いて② 山間部を通る場面についてである。

 これは屡々月を背に疾駆する列車を描いたものであるが、そのスピード感というものは雄々しく棚引く煙突の煙が示すものであって、シャッタースピードを調整して、残像やぼかしを用いて表現されるものではない。

 月を戴く峰々の絵は、それこそ山水画の長い歴史の中で浮世絵にも踏襲された、古典的な画題である。が、その中を「現代」(当時の)を象徴する機関車が煌々と灯りを灯しながら走る様子というのは、今からでは一寸疑問符が浮かぶやも知れないが、それこそが「自然と文明の調和」を描いたものでなかったか、と考えられるものである。

 というのも、そこに描かれる景色というものは、遥か昔、更にいえば空間的にも海を隔てた向こうの深淵なる歴史的文脈と遥々繋がったものであるからだ。

 歴史即ち風景、自然という「絵」に於けるお約束を踏まえたら、そうした伝統的価値観そのものとも言える背景を担ぎ、勇しく煤煙を月光に反射させる汽車の姿は、丁度、遠く山の頂より遥か天上から悠久の時を越え、人間の営為を見詰め続けて来た存在に対して、今正に嘗てない威勢を地上で発揮し続けている「現代人」の勇姿の寓意とも解し得るものだろう。

 

 上記の内容を踏まえて、③の景色を見ると、これはそれまで見て来た様な伝統的な風景を描いていない様に一見、認められるものだが、これは果たして「風俗画」として見た場合、その位置付けは明瞭になるだろう。その一見した歴史的「飛躍」こそが③ の核心である。

 当時に於ける「現在」から、これまで見て来た「過去」と自分達がこれから結び付ける「未来の景色」が、その風景には示唆されている。但し、未来は描かれているものではなく、その現代の様子は、未来から見た時にこれまで描かれて来た画題の様に理解される前提で描かれたものである事を企図したものであろう。

 詰まりそれは、将来、振り返って昔届いた便りを改めた時に懐古され得るだろう現在の景色を投機的に用意した結果の「絵」なのである。

 

 「Long,long ago」に対置された「Present day, Present time」の意味は、その実、現代=同時代的な感覚ではなく、「遥か未来のどこかの時点」を指すものであるーーという見方に立てば、今日日二十一世紀初頭に私たちがその古い絵葉書を見た時に感じるノスタルジーは、差し詰め、そこに描かれた「未来への期待」に感化されたものでもあったりするのだろう。

 決して自分達が体験した訳ではない過去に対する感覚は「懐かしさ」ではなく、或る時代に於ける「憧れ」への共感を、過去という時間的順序に引き摺られ郷愁と取り違えた結果に生じるのではないかーーとは、全く筆者自身の見解である。

 そうした、現在への期待と将来への憧憬を具備した表現を回顧した際の最も相応しい評価は既にして在る。

 曰く「訪れざりし未来」という。この言い程的確に、夜汽車の行方を物語る言葉もないと思う。

 

(2022/04/19)