カオスの弁当

中山研究所blog

始メノ如ク終ワリヲ慎メバ(3)

始メノ如ク終ワリヲ慎メバ(1) - カオスの弁当 

始メノ如ク終ワリヲ慎メバ(2) - カオスの弁当

 

 

 さて、本稿の主旨としては、前回・前々回と続けて来て、ここで纏めて示そうというのは、彼・如是閑の小説作法というのが今少し、当初の如く、読み物として、娯楽作品として練り上げられる事があれば、今日彼の名前も幾分か今よりも知られて良さそうなものであったーーというものである。

 彼自身はその後、新聞記者として「批判」をその活動の主に据えて行ったものであるが、この「批判」というのはその文章の形式にも及ぶもので、今時考えられるような題材選びや内容に盛り込まれるようなものとしての批判に止まらなかった。

 

 如是閑が「批判」の為に用いた手法は寓話であった。『真実はかく佯(いつわ)る』はその集大成ともいうべき一冊であるが、このタイトルの読解は筆者の考えでは次の通りだ。

 即ち、寓話とは何がしか真実の一端が具体的に現れた例え話であるが、そんな例え話、事例で以ってのみこの世に現れる真実という奴は、自身を佯って人間を欺くものであるーーという所であろう。

 

 『真実は〜』以降の彼は、日本文化や伝統、「常識」についての積極的な発言を展開するようになる。その対象が果たして彼にとって、真実であったのか、或いは寓意を孕んだ対象であったのかについては、読者の立場によって分かれるところであろう。

 筆者は飽くまで、如是閑はそうした題材を実例として扱い、『真実は〜』で示そうとした一事をより明らかにしようと試みていたものと踏んでいる。

 然し、厄介な事には、彼の筆は屡々寓話と真実とを等価に扱おうとするのである。これは彼自身の思い入れと、新聞記者・著述家としての社会的・職業的立場がそうさせたものであろう。そして、この「二重性」が、彼自体を一つの寓話的存在にせしめている。詰まり、何か世の中の真理なりを知ってそれを世間に広めようとしているかのような、預言者的存在である。それが、本当の所、如何いう思惑でそんな事をしているのかは、如何とも余人/世人には中々測りかねるものであり、故にそうした人物の扱いは余程可愛がられるか、白眼視される。

 

 それが彼の世間に対してより自己をよく見せようとする宣伝活動であった、と見てほぼ間違いないだろう。そうする事で彼は謂わば自分の言論界の地位を守って来た訳である。それは自身の食い扶持と直結していた訳であり、何より彼の書く文章よりも、語った言葉よりも雄弁にその思想を体現していたものという風に筆者は考える次第である。

 極端にいえば、彼の評価に結びついているものは彼の言葉の内容ではなしに、その語っている事、書いているという事が持て囃されたのであるーーと考えるものである。それが彼の二つ名である「叛骨のジャーナリスト」の真髄であり、彼の今日的評価の限界を示すものであるように思えてならない。

 その価値は、そっくり新聞紙に準える事も出来るだろう。或いは今日のブログやSNS(これもブログの一種だが)の価値にも等しいやも知れない。ただ、あんまり此処で比喩を用いるのは話を余計にややこしくする事になるので控えようと思う。

 

 況や、彼に限らず、寓話作家はアマチュア、「素人」なのだ。素人であるが故に放言も可である、が、その言葉は何処までも軽んじられ、重きをなす事はない。ただ、軽薄故に手取り早く人口に膾炙して、親しまれる。

 その効用に注目して、何かこれを用いて世間を改造しようとか試みた者たちの中に如是閑は自身の拠を見出したのであった。そして彼自身も、そんな直ぐ火がついて燃えるような文章を好んでいた、血気盛んな読者の一人であった事はよく知られた話である。

 

 ただ、私(筆者)は、彼自身の内にはその埋み火を業火にするだけの何がしか燃料が如何程もなかったように思えてならないのである。

 それが果たして彼を不得手の通俗的娯楽小説から、一見高尚である新聞のコラムや寓話の方へ向かわせしめたように思えて仕方ないものなのである。自身の内面を探索して小説を書く事を彼は大所高所から自身の仕事ではない云々と見切りをつけてしまったようだが、それが本当に妥当であったかは、それこそもう本人の納得の問題であり、同じく「素人」ながら、故に素人考えで、彼がもう少し自身の内奥を掘削するような事をしたならば、どんな鬼が出たか、蛇が出たか、と想像せずにはいられないのである。

 

 何か物語とかを作るに当たっての、ガソリンもとい燃料というのは有り体に言えば悲喜交々の事であって、も少しカッコよくいうならパトスである。

 そのパトスを彼は若い内から早々に自制する方向に手綱を持って行ってしまい、それでもって物凄い勢いで自分のキャリアを邁進して行ったのである。見方によっては、そのエネルギーを新聞記者になる方へ費やした、とも受け止められる。

 実際、如是閑自身も新聞記者になろうか、小説家になろうか随分悩んだと述懐しているものである。詰まり、極端だが、偉大な新聞記者と卑小な小説家の元は同じと言えるのである。

 彼はその内、一方の結末としての悲惨な破局を延々回避しようとして逆走を続けた結果、大往生を遂げたのであった。

 

 ただ、彼がそうまでして逃れ続けていたパトスの向かう先に何が控えていたのかは興味が尽きない一事である。その洪水の彼方に見えるものの片鱗は、残された文芸作品に幾つか見て取れるものであるが、それを取りに行くよりかも、如是閑は現実的な生を選んだ訳である。

 そうした選択は屡々、現実にその人が生きている間は賢明なものとして評価されるものであろう。が、その死後、後世になるとこの評価は一転する事がある。それは傍が他人の人生に口を挟むような事であり、それこそ控えられるべき事であろう。

 だが、それでも嘴を挟む余地があるとしたら、それは故人が作家として小説を書いていた所にあると筆者は自身に都合よく考えるものである。

 それが何かしらの実験であり、探究であった事を作家自身が認めて、自身のキャリアとしても数えている。そこに後世の人間は楔を打ち込む事は許されているのである。何も秘密の原稿を暴き出して揶揄しているのではない。

 

 タイトルに掲げた「始メノ如ク終ワリヲ慎メバ」という『老子』の一節、「即チ事ヲ敗ルコト無シ」という句で締め括られる。

 これを素直に彼の人生に当て嵌めて読むと、後半部を切って四文字を揮毫したのは、秀逸というより他にない。当然読み手のそれは勝手なのであるが、素直に『老子』の引用として受け取るならば、それは与えられた人間、即ち読者への「命令」である。又、これを彼自身の心境を書いたものと受け止めるならば、流石は大家であるだけに剛毅であるーーとこれまた読む事も出来る。

 然し、更に此処で一癖捻りを加えて読むならば、それは「留保」として読めるものであろう。

 始メノ如ク終ワリヲ慎メバ……、その後に続くのは確かに成功を約束する力強い言葉なのである。が、そこから先は示さずに老翁は色紙を遺したものなのであった。

 そんな彼の態度を同時代の人間が「批判」しなかった事もなかったが、その批判自体も彼と合わせて忘れ去られてしまった。如是閑が新聞記者として名馬であった事は記録されている所だが、それが小説家としては迷馬であった事も同じく留められるべきだろうという事は、くどいようだが最後に此処に申し述べたい所である。

 

(終)

(2021/03/04)