カオスの弁当

中山研究所blog

22世紀外観

タラップから降りた人間は、単なる人間である。馬の上の人間は単なる馬の上の人間に過ぎず、それがどんなものかという経緯については、さして誰も関心がない。 概して人間という奴の関心が行く場所は決まっていて、やれ鼻の高さはどうだった、だの、目の色は…

カント時計の謎

カントの規則正しい散歩についての逸話は恐らく創作だろうが、彼自身の散歩の習慣については、実に最もらしく思われる。 ただ、その散歩をしていた時期がいつなのかは甚だ怪しいが、これは創作者の爪の甘さ、設定の不確かさに由来するものだろう。 鬱屈とし…

勘所

「機械の性能が向上した結果、人間に残されたのは、箱に物をつめるだの、そんな仕事だけになってしまった」 と、ある漫画家が云った。 成る程、立派な仕事をしている人は言うことが違う、豊かな想像力の持ち主だ、と素直に感心した。 ただ、感心するだけであ…

ラムネとかんぴょう

甘い巻きものであるかんぴょう巻きは、子供時分には得意ではなかった。 米の飯であるところのおかずに甘いものを食べるのに慣れていなかった所為である。 同じ理由で、花でんぶも得手じゃなかった。 最近、それらを平然と食らうことが出来るようになったのは…

山と如是閑(3)

私自身は針ノ木峠という名に一種の憧憬を持っていた。 (中略) この荒廃の感じは、この峠が明治の初年に加賀藩の士によって一度開かれたことがあるにもかかわらず、その狭いつとはなしに荒廃して、初期の外人山岳家などは多くこの峠を登山術を超絶した険路…

山と如是閑(2)

如是閑は屡、ディオゲネスを作品の中に引用、或いは登場させる。また、そのシンボルである樽が小道具として、或いは人間を翻弄する要請的存在として登場する小話が、『山へ行け』が収録されているエッセイ集『真実はかく佯る』(1924年)には収録されている…

山と如是閑(1)

長谷川如是閑(1875-1969)に、『山に行け』というエッセイ(1919年)がある。 「登山の期節が来た。」という緒言で始まる短い文章は、前年、大阪朝日新聞社(以下、大朝)を退社してから彼が、同じく大朝を退社した丸山幹治、大山郁夫らと共に創刊した雑誌…

鯨とひとりもの

浜に一頭の鯨が座礁した。瀕死の鯨を沖に戻す謂れもなく、又食うでもなしに、浜辺の近所の住人は、普段、釣りばかりしているひとりものに、鯨に止めを刺して来るようけしかけた。 渋々、モリを持った男は、自分がモリで突き刺されなかっただけマシだと思い、…

外で物を食うこと

買い食いが好きで、人と出かけている時にでも平気で物を買って食べる。人によってはそれは大分な顰蹙物であろうが、自分は歩きスマホぐらいに買い食いが好きで、その所為で二十歳を過ぎてから体重が随分と増えた。 今日も又、仕事帰りに買い食いした。 買い…

銀象嵌星月夜銅丸矢立(ぎんぞうがん-せいげつや・あかがねまるやたて)

矢立を買った。酢水に漬けて錆をとる。 梅雨が明ける、その前に出掛け先へ手挟んでいく手頃な物が一つ欲しくなった。 そんな所に、偶々目に入った品があった。いつの、どこのものなのか定かではない。銘はどうにか龍文堂造と読めたが、真贋は然程問題ではな…

いづれバッシングされる缶コーヒーについて

そう遠くない将来、缶コーヒーやらエナジードリンクやらが、危険な飲料として槍玉に挙げられることがありそうな気がする。だから、それより先に何か色々思うことを書き残しておく。 土台、そんなものを飲んでぶっ倒れるまで遊びたいのに、遊ぶ時間がない、休…

乾電池と充電池

乾電池は、子供達を家庭という共同体から解放した。携帯ラジオや懐中電灯を手に子供達がサバイバルに繰り出す事が出来るようになったのは、果たして安価で扱いやすく、直ぐに使えて保存も利く動力源を手に入れられたからに他ならない。 他方、充電池は、大量…

写り込んだ景色(アニメ電線・電柱考)

「神は細部に宿る」というが、詰まりは「こんな細かい所まで作り込まれているとは、とても人間ワザとは思えない」という感想が、何やら本当にお米の一粒に七人の神様が宿っているような意味合いで捉えられるようになったりしたのだとしたら、言葉とは矢張り…

ベイビーヤモリとアブダクション

路端でヤモリを見つけた。小指の先から第二関節までの大きさしかないが、立派な爬虫類である。 夜中、光に集まる習性を持った羽虫が狙いだったのだろうが、人通りの多い道路に現れたのが運の尽きである。あわや、踏み潰されかけた訳である。 保護色が余計に…

#クラブサイベリア 

加速して壁も波打つサイベリア トロピカルとか何とかを頼んだつもりだったのだが、結果としてシュガーフリーで良かったといつ以来かのエナジードリンクを啜りながら思った。 鏡とは人間の見た目の空間を拡張する装置でもあるーー。漫ろに会場を上り下り(場内…

#クラブサイベリア まで

渋谷というのは坂の多い町だ。台地で育った人間にとって、立っていてそれだけで足元が掬われそうになる土地というのは、なかなかそれだけの理由から、何やら寄り付き難い印象がなきにしもあらずだ。 「三十円ある?」 と、キッチンワゴンの荷台から毛むくじ…

虚無と空虚

公衆電話が撤去されて、ぽっかり空いたスペースを、「公衆虚無」と呼ぶそうだ。 廃墟と言うべきところであろうが、然し其処を、敢えて「虚無」と呼ばれる点に、最早其処には嘗て何かの存在した遺構である、という事さえも失われたニュアンスがそこはかとなく…

伝染する悪夢/【批評】『ポプテピピック』(アニメの方)

あんなもの、なにも知らない人間が見たら、只々気狂いの悪夢である。 しかし、他人の夢なんて、大概そんなものである。元々の意味も文脈も知らないような出来事が、一旦バラバラにされ、更に再構成されたようなものなんて、掴もうと思っても、そこにはどんな…

日本アニメ電線・電柱考(1)「エヴァ」と「lain」(前)

日本のアニメで電線・電柱(その他の架線・鉄塔も含む)が「効果的」に用いられている作品といえば、発表順に『エヴァ』と『lain』が挙げられる(と思う)。 前者では専ら、作品世界に空間的な広がり(奥行き)を与え、後者においては理念的な作品世界観の展開に貢…

異世界の風

「遠くへ行きたい」という欲動は、文学の深淵から絶えず吹き上がる突風である。 ところで、そんな欲動とは別に、その場に留まろうと欲する気持ちもまた、地上には存在する。 上野のパンダの檻の周りを想像してみれば能くそのことは分かるだろう。 早く見たい…